「いつかは田舎暮らし」が夢なあなたへ!海と山が呼ぶ町、尾鷲の魅力と移住について徹底解説!

今、この記事をあなたはどこで読んでいるでしょう?
家のパソコンの前?通勤電車の中?もしかしたら会社のトイレの中かもしれません。
いずれにせよ、そこは海風に潮の香る入江とも風に揺れる梢に檜香る森林とも無縁のどこかでしょう。

なのに何故、この記事を開いたのか?
もしかしたら、もう、あなたは呼ばれているのかもしれません。
山に抱かれ、海へと開かれた市、尾鷲に…。

なんて書くと、鼻で笑われそうですが、それでもあなたがこの記事を開いたのは、きっと心のどこかに“海と山”や“尾鷲”や“移住”というワードが引っかかったからなはずです。

もしかしたらそれは、昔、尾鷲に行って豊かな自然に感動したとか、いつかは田舎で悠々自適に暮らしたいといった、忙しい日々の中でいつもは忘れている、小さな願いがあなたの中にあるせいかもしれません。

そこでこの記事では、東京近郊に暮らしている方へ向け、海と山、どちらも備える尾鷲の魅力と移住について解説します。
移住?そこまでは考えていないという方も、これからの暮らし方の1つの選択肢として、ぜひ読んでみて下さい。

1尾鷲市ってどんなところ?

まずは尾鷲市がどんなところか、東京に住んでいる人にもイメージしやすいように、“東京の人目線”も入れつつ説明します。

1-1東京ドームに収まる人口

尾鷲市は三重県南部に位置し、人口は1万8千人程です。
東京近郊住んでいる方がこの数字をイメージしやすいように新宿区を例に出して少し説明してみます。

新宿区の人口は30万人で、尾鷲市の人口はその6%ほどになります。
もし、今あなたが東京近郊に住んでいるなら、一度くらいは新宿駅前の雑踏に立ったことがあるはずです。その上で、少し想像してみて欲しいのですが、あの新宿駅前にいる100人くらいの人ごみが急に6人になったらどう感じますか?少ないなぁと思うはずです。

それが体感としての尾鷲市の人口です。しかも尾鷲市の面積は新宿区の10倍以上ですから、人口密度を考えれば、もっと人は少なく感じられるでしょう。

ちなみに東京ドームの収容人数は5万5千人ですから、尾鷲市市民を収容することができるということになります。

ここまで読んで、人が少ないということは、過疎化が進んでいるのではないか?人気がないからではないか?と思った方もいるかもしれません。
確かに過疎化が進んでいる面もありますが、一方で尾鷲市の豊かな自然に惹かれ移住してくる人も増えています。人気がないということはありません。

人が少ないからこそ、尾鷲には東京にはない新たなことを始めるチャンスがたくさんあります。
実際、他県から移住し、地域おこし協力隊として漁村に食堂を開いた方もいます。地域おこし協力隊については、後章でまた詳しく説明しますが、とにかく、人が少ないのはデメリットではありません。むしろメリットです。

そもそも、東京に暮らしていても、人混みが嫌いな人、多いですよね。
身動きの取れない満員電車、電車から降りても、後ろから押され、前はつっかえ、駅の階段にたどり着くのさえ一苦労…やれやれと内心ため息をつきながら、人の列に混ざる…そんな生活に飽きていたら、一度尾鷲に来てみませんか?

ふーっと深く、ため息ではない、深呼吸ができるはずです。

1-2 9つの漁師町

尾鷲市は熊野灘に面しており、中心部である市街地の他に以下の9つの漁村があります。

九鬼町
早田町
・古江町
・賀田町
・曽根町
・梶賀町
・三木浦町
・三木里町
・須賀利町

これらの漁村は昔からの呼び名で「内輪」と呼ばれ、それぞれが漁師町特有の景観や暮らし方、歴史を持ち、そして人情があります。
中でも上2つ、九鬼町と早田町はこの後、移住や漁業の話で登場するので頭の片隅に入れておいてください。

1-2-1漁師町の程よい人の“近さ”

尾鷲市の漁師町は人口が少ない町が多く、だからこそ人情があり、助け合いの精神が根付いています。数日姿を見なかっただけで、近所の人が心配して声かけてくれる、なんていうことが普通にあります。

自分の住むマンションの隣人の顔すらろくに知らない東京暮らしからすると、びっくりするほどの人との“近さ”ですが、実際に行って地元の人と接してみるとわかるはずです。
必要以上に干渉はしないけれど、いつも気にかけてくれる、程よい人の“近さ”と優しさに。

1-2-2“ガードレールのない道”、九鬼町

先程、漁師町にはそれぞれ特有の景観と歴史があると書きました。
個人的に、そのことを最も体感できるの漁師町が九鬼町です。

熊野灘はリアス式海岸であり、小さな入江が断続的に続きます。
尾鷲市の漁師町はその入江を囲むように広がっており、九鬼町もその1つです
そんな九鬼の町を高台から眺めると、丸く大きく広がる海と対照的に、その手前に密集する瓦屋根の町並みが目に入ります。
その中へ一歩足を踏み入れると細く短い坂道がいくつもの曲がり角と階段で結ばれており、さながら迷路のようです。民家のすぐ裏手を通るような道もあり、慣れていないと、本当にこんなところを通っていいのだろうかと不安になります。
昔ながらの密集した町並みと、その向こうに広がる豊かな海、そのコントラストこそ九鬼町ならではの景観です。

九鬼の町並み
(「フリー写真素材なら三重フォトギャラリー」より)

海沿いの道にはガードレールがなく、東京の方からしたら少し怖い気がするかもしれません。しかし、実際に海沿いの道を歩いてみるとその解放感、気持ち良さに感動を覚えるはずです。町と海の境がないような、いや、まるで海も町の一部であるような漁師町、九鬼の姿が、この“ガードレールのない道”に集約されているといえます。
また、海に吸い込まれそうなオハイ(大配)の断崖絶壁からの景色も一見の価値があります。

ガードレールのない海沿いの道(「三重県観光連盟公式サイト 観光三重」より)
オハイの絶景(「三重県観光連盟公式サイト 観光三重」より)

また、歴史的には九鬼町は九鬼水軍発祥の地でもあります。
和田竜氏の小説『村上海賊の娘』は戦国時代、瀬戸内海を拠点に大きな勢力を持った村上水軍の活躍を描いたもので、映画化もされました。
九鬼水軍は、この村上水軍相手に木津川の戦いで2度戦い、当時は珍しかった鉄甲船を武器に、数で勝る村上水軍に対し、1勝1敗で引き分けています。
九鬼は、今も昔も勇ましい海の男達の町なのです。

どうですか?

九鬼町に行ってみたくなった方もいるのではないでしょうか?
九鬼町では「みやか」という移住体験住宅も用意されています。
それについても後ほど説明します。

ここで紹介した九鬼町以外の漁師町にも、それぞれ歴史とそこでしか見られない景観があります。ぜひ、足を運んでお気に入りの漁師町を探してみてください。

1-3毎日の食卓が海の幸

これだけ漁師町があるのですから、当然、尾鷲は海の幸の宝庫です。
黒潮が流れる熊野灘は日本有数の漁場で、春はカツオ、夏はアジにマダイ、秋はアオリイカやタチウオ、冬はブリにサンマが獲れます。
カツオも様々な種類があり、この辺で「ほくろ」と呼ばれているスマカツオは、全身トロで絶品です。希少な部位なため、地元にしか出回りません。他にもフエフキダイの仲間のメイチダイなど、産地でしか食べられない魚が沢山あります。
魚好きには天国のような場所です。

1-3-1ひと味違う、早田町の魚

魚の美味しい尾鷲ですが、そんな魚に対する舌の肥えた尾鷲市民をして“ここの魚はひと味違う”と言わしめるのが、漁師町、早田町の魚です。

尾鷲はブリの産地としても有名で、早田町でも2月末~4月にかけてブリの定置網漁が行われています。早田町に大敷網を構える『早田大敷』では魚の鮮度にこだわった以下の取り組みをしており、それが結果的に、早田町の魚がひと味違うと言われる評価に結びついています。

  • 船上でブリ用の「活け〆装置」を設置し、流れ作業で放血と神経〆を行う
    手早く神経〆を行うことで、一般的に行われている「氷〆」のデメリットである、魚の体内に血が残ることによる鮮度低下を防げます。
  • 価値の高いアオリイカは、1匹ずつ手作業で船上活け〆する
    それに加え、墨袋のクリップ留めと、QRコード付きのタグ付けも行っています。

早田町が他の漁師町に先駆けてこうした先進的な取り組みを行える理由の1つに漁師の構成員の若さがあります。過疎化が進む漁師町では、漁師の平均年齢は50代前後であることが多いですが、早田町では30代~40代の漁師達が多数活躍しています。

早田町では、10年前よりこれからの漁の担い手育成を見据え、「早田漁師塾」という漁師育成塾を開いてきました。それにより、早田町では若手漁師が増え、魚の処理1つとっても、既存のやり方にとらわれない、技術革新が進んでいるのです。

「早田漁師塾」のようなシステムは移住をきっかけに、一念発起して漁師にトライしてみたい人にとってはこれ以上ないチャンスでしょう。
残念ながら、今はコロナの影響もあり生徒募集が中止されていますが、気になる方は下記サイトをこまめにチェックしてみてください。
http://www.owase.com/haida-ryoshi-juku/about/

1-3-2尾鷲市主催の定置網漁体験

「早田漁師塾」のような民間の活動だけでなく、市としても尾鷲市政策調整課が中心となって、漁師になりたい人に向け、定置網漁の体験をする募集を定期的に行っています。
2022年の募集は12/2までですが、来年以降も募集がかけられる可能性があります。
こちらも興味のある方は下記リンクをチェックしてください。
https://www.city.owase.lg.jp/0000012917.html

1-4逆境から生まれた「尾鷲ヒノキ」

山好きの方、お待たせしました。
尾鷲市は山の魅力にも溢れています。
何せ、尾鷲市の面積の9割は山林なのです。

当然、林業も盛んで、全国的には「尾鷲ヒノキ」と呼ばれるヒノキの林業が有名です。
しかし、山林は多いものの、尾鷲は急峻で土壌が育たない土地であったため、元来、林業に適していませんでした。しかも多雨な土地のため、常に土砂崩れのリスクがあり、海への土壌流出は、尾鷲の産業の大きな柱である漁業にもダメージを与えかねませんでした。
では農業はどうかといえば、平地が少なく、農業にはさらに適していません。
ですから尾鷲の人々は海以外では山を活用して生きていくしかなかったのです。

尾鷲ヒノキの森林(三重県HPより)

そのような地の“不利”を、苗木の密植と、間伐を頻繁に繰り返し、下草を育て、土砂崩れを予防するという地道な活動を何世代にもわたっても繰り返すことで跳ね返し、育て上げられたのが尾鷲ヒノキなのです。
尾鷲ヒノキの特徴は、育ちが遅いゆえの緻密で均一な年輪、強度の強さと木目の美しさです。そのの品質の高さが評価され、「日本農業遺産」に認定されています。
そこには、ヒノキの品質への評価だけでなく、「植える」「育てる」「切る」という尾鷲の人々の山林への一貫した向き合い方への評価も含まれています。

尾鷲ヒノキの年輪(三重県HPより)

そんな尾鷲の林業をけん引する「森林組合おわせ」では、林業のインターンシップや、体験を定期的に受け付けています。
興味がある方は、下記サイトから問い合わせてみてください。
http://www.owase.or.jp/home/

1-5幽玄な雰囲気の熊野古道伊勢路

尾鷲の山林を語る上で林業ともう一つ外せないのが、熊野古道の1つ、「熊野古道伊勢路」でしょう。
山好きなら、是非一度は歩いてみたい山岳信仰の路です。
筆者も歩いたことがありますが、背の高いヒノキなどに囲まれた伊勢路は思ったより薄暗く、その中で、時折り頭上から差し込む陽の光が幻想的で、普通の登山やハイキングでは感じられない、まるで神社などに足を踏み入れた時のような厳かな気持ちに自然となりました。

尾鷲ヒノキと熊野古道(三重県HPより)

2民間の尾鷲市移住支援について

尾鷲がどんなところかイメージしてもらえたところで、移住してみたいという方へ向け、民間の移住支援団体の活動について説明していきます。

2-1おわせ暮らしサポートセンター

NPO法人おわせ暮らしサポートセンターでは空き家紹介や、漁村暮らしを体感できる空き家を使った宿泊業や、イベントを開催しています。
おわせ暮らしサポートセンター

2-1-1和風モダニズム漂う土井見世

おわせ暮らしサポートセンターのイベントや活動拠点となっているのが、登録有形文化財「見世土井家住宅」です。
当センターではこの見世土井家住宅を会員制のシェアオフィス&コワーキングスペース「シェアスペース土井見世」として活用しています。
見世土井家住宅は文化財登録の際は署名運動が起きたほど、地域の人々に愛されており、昭和6年に建てられた和風モダニズム建築です。アール・デコ様式の意匠と数寄屋座敷など、和と洋の美しさが融合しています。

土井見世外観(土井見世公式HPより)

興味を持った方、建物へ足を運んでみたい方はぜひ、下記リンクをチェックしてみてください。
https://www.doimise.com/%E6%89%80%E5%9C%A8%E5%9C%B0/

2-1-2移住体験住宅「みやか」

「みやか」はおわせ暮らしサポートセンターが管理する、九鬼町にある移住体験用施設です。九鬼の漁港ほど近くにあり、築100年以上の古民家を改修して作られました。
みやかには、滞在スペースとなる明治期以前に建てられた母屋に加え、離れと蔵があります。
庭には手造りのピザ窯や魚をさばくのに便利なシンクもあり、天気のいい日などは外で料理を楽しむことができます。
また、「みやか」という名称は、かつてこの建物が生活雑貨のお店であった時の屋号にちなんでつけられました。

【「みやか」の利用条件】
月間利用料:月2万円(家賃、光熱費、インターネット使用料等含む)
利用期間:最短1ヶ月〜最長3ヶ月
利用条件:尾鷲市に移住を考えている方(申請書、面接審査有り)

【利用までの流れ】
①尾鷲市移住体験住宅実施要綱を確認の上、利用希望日の14日前までに、定住移住地域おこし協力隊へ尾鷲市移住体験住宅借用申請書を提出する

②尾鷲へ行き、現地内覧と利用規約の説明と、利用の目的等の面談を受ける

③面談内容および借用申請書を尾鷲市にて審査の上、利用許可が出た場合は、利用決定通知と利用料納付書が送付される

④尾鷲市にて利用料の納付を確認次第、鍵が引き渡される

➄利用期間が満了する日までに荷物を撤去し、事務所まで鍵を返却する

なお、滞在中は家探しや仕事探しの状況について、定期的に定住移住地域おこし協力隊のスタッフと面談を行う必要があります。
また、おわせ暮らしサポートセンターでは「みやか」のような移住体験施設だけでなく、漁村暮らしを体験できる「わたまし」や「三木浦ソワイ」といった宿泊施設も管理しています。
これらの宿は全国旅行支援の対象にもなっています。

2-2地域おこし協力隊

地域おこし協力隊とは地方自治体から委託を受け、その地域で暮らしながら、地域の魅力を様々な形で発信していく人達のことです。
尾鷲市でも定期的に募集をかけています。
募集内容はその時々で異なりますが、概要としては次の通りです。

  • 給与:月額:208,000円(2020年募集時)
  • 活動期間:おおよそ1年以上3年以下
  • 活動日数:20日以上/1ヶ月(他の仕事との兼業可)
  • 活動場所:NPO法人おわせ暮らしサポートセンターが運営する土井見世
    ※居住場所は尾鷲市内であれどこでも可
  • 選考基準:書類審査及び面接

【応募に必要な書類等】
履歴書(任意書式)
志望動機理由書(任意書式)

【提出先・問い合わせ先】
519-3696 三重県尾鷲市中央町10番43号
尾鷲市役所 政策調整課 地域創生係
TEL0597-23-8116 FAX0597-22-2111
hito@city.owase.lg.jp

2-2-1地域おこし協力隊として九鬼町で食堂オープン

実際に尾鷲に移住し、地域おこし協力隊として活動した方を1人紹介しましょう。
豊田宙也さんは東京で友人の飲食店立ち上げの手伝いなど、アルバイトをしながら、打ち込める仕事を探していた時に、地域と関わること、地域の人々が集まる場所を作ることの楽しさに目覚め、2015年に地域おこし協力隊として尾鷲へ移住しました。
移住先を尾鷲に決めたのは、祖父が暮らしていた土地であったことも大きいようです。

豊田さんが地域おこし協力隊として最初の赴任先が、1章で紹介した漁師町九鬼でした。
九鬼町で豊田さんは自身の飲食店立ち上げを手伝った経験を活かし、地域の人が集まれ、かつ、外から人も呼べる食堂「網干場」をオープンさせました。
豊田さん自身も網干場で5年働いたそうです。最初の3年は地域おこし協力隊として、あとの2年は自ら希望してのことでした。
現在はNPO法人おわせ暮らしサポートセンターの一員として移住者支援の活動を行っているようです。
また、食堂「網干場」は2021年に惜しまれつつ閉店したものの、現在でも住民有志が日替わりで喫茶店を開いたり、ワーケーションの場として活用されています。

カフェ&コワーキング(「網干場-Ababa-」Facebookより)

移住において仕事の心配をする方は多いですが、せっかく尾鷲を好きになり、移住するならば、地域おこし協力隊を目指してみるのも1つの手です。地域おこし協力隊になれば、給与をもらいながら自身の経験を活かして尾鷲に貢献できます。

3尾鷲市の移住助成制度について

尾鷲市では三重県の移住支援金制度を採用しています。

3-1対象者

支援金の対象者には様々な要件が課されていますが、ここでは尾鷲市が適用している要件に絞ってお伝えします。

3-1-1移住元の要件

  • 住民票を移す直前の10年間のうち通算して5年以上東京23区に在住していた方
    または住民票を移す直前の10年間のうち、通算して5年以上東京圏に在住し、東京23区に通勤していた方
  • 住民票を移す直前に、連続して1年以上、東京23区内に在住していた方
    または住民票を移す直前に、連続して1年以上、東京圏に在住し、東京23区に通勤していた方

3-1-2移住先の要件

  • 三重県内であること   
  • 移住支援金の申請時において、転入後、3か月以上1年以内であること
  • 転入先の市町に移住支援金の申請日から5年以上、継続して居住する意思を有していること

3-1-3就職に関する要件

➀一般の場合

  • 勤務地が東京圏以外の地域に所在すること
  • 就業先が都道府県が移住支援金の対象としてマッチングサイトに掲載している求人であること 
     みえの仕事マッチングサイト
  • 就業者にとって3親等以内の親族が代表者、取締役などの経営を担う職務を務めている法人への就業でないこと
  • 週20時間以上の無期雇用契約に基づいて、申請時において当該法人に連続して3か月以上在職していること
  • 求人への応募日が、マッチングサイトに移住支援金の対象として求人が掲載された日以降であること
  • 当該法人に、移住支給金の申請日から5年以上、継続して勤務する意思を有していること
  • 転勤、出向、出張、研修等による勤務地の変更ではなく、新規の雇用であること

➁専門人材の場合

プロフェッショナル人材事業又は先導的人材マッチング事業を利用して就業した者は、次の要件を全て満たす必要があります。

  • 勤務地が東京圏以外の地域に所在すること。
  • 週20時間以上の無期雇用契約に基づいて就業し、申請時において連続して3か月以上在職していること。
  • 当該就業先において移住支援金の申請日から5年以上継続して勤務する意思を有していること。
  • 転勤、出向、出張、研修等による勤務地の変更ではなく、新規の雇用であること。
  • 目的達成後の解散を前提とした個別プロジェクトへの参加等、離職することが前提でないこと。

3-1-4テレワークに関する要件

  • 所属先企業等からの命令ではなく、自己の意思により移住した場合であって、移住先を生活の本拠とし、移住元での業務を引き続き行うこと
  • 地方創生テレワーク交付金を活用した取組の中で、所属先企業等から当該移住者に資金提供されていないこと

3-2支援金

単身者:60万円
2人以上世帯:100万円
※令和4年4月1日以降に転入された方が対象
※尾鷲市は子育て世代加算は実施していません

3-3申請できる期間

居住地である実施市町へ転入後3か月以上1年以内
※申請状況によっては、上記期間前でも受付終了となる場合あり

3-4申請先

尾鷲市:政策調整課
電話:0597-23-8116

まとめ

海と山の自然に恵まれた尾鷲は田舎暮しをしたい人にも、新しいことを始めたい人にもマッチしています。
都会の生活に疲れたら、まずは尾鷲に足を運び、その自然とそこに住む人に触れてみてください。
きっとせわしなく動いていたあなたの中の心の時計がゆっくり時を刻み始めるのを感じられるはずです。

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この記事を書いた人

横山 遼

横山 遼

物心ついた時から関東育ちなくせに、生まれたのが伊勢の病院というだけで、出身地を尋ねられたら頑なに「三重!伊勢!」と答えるほど三重が好き。 伊勢には母方の祖父母が住んでいたため、幼い頃は夏休みに伊勢に“帰る“のが楽しみでした。 そんなルーツを持つ自分の中には「純粋に三重が好き」という気持ちと「東京から三重がどう見えているか」という冷静な視点、その2つがあります。 こうした自分の立ち位置を踏まえ、ミエタイムでは、“東京や関東在住の人がどうしたら三重に興味を持ってくれるか”という切り口で、三重の魅力や移住情報などを発信していきたいと思っています。

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