【イベント情報】三重県の城郭をめぐって、名産品をGETしよう!

歴史が好きで城めぐりを楽しむのか、城めぐりから城の面白さに魅了されて歴史好きになるのか。

城ブームの火付け役となったのは、2006年に公益財団法人日本城郭協会が発表した「日本100名城」ではないでしょうか。

「日本100名城」のスタンプを集めるという明確な目標により、城めぐりをする方が格段に増えたと考えられます。

しかし、初めから100名城コンプリートを目指すのはとっても大変ですよね。

まずは三重県内の城郭めぐりから挑戦してみませんか?

しかもなんと!7つの城郭のスタンプを集めて応募すると、名産の伊賀牛や松阪牛など豪華な特産品が抽選で当たります。

これは参加するしかない!

「日本100名城・続日本100名城」とは

出典:日本城郭協会

「日本100名城」とは、財団法人日本城郭協会が全国各地の名城探訪の手がかりとして2006年に定めた日本の名城100選のことです。

同協会が2007年に迎えた設立40周年の記念事業の一環として、2005年に日本国内の名城と呼ばれる城郭を公募し、2006年4月6日の「城の日」に認定しました。

100の名城は、観光地としての知名度、文化財や歴史上の重要性、復元の正確性などをもとに、城郭愛好家や専門家などの審査により選定されています。

現在では50周年の記念として新たに、2017年3月「続日本100名城」も選定されました。

「続日本100名城」は、日本城郭協会会員と日本100名城登城達成者、そして城郭ファンの推薦の声などが集められ、城郭専門家6名からなる選定委員によって選定されています。

三重県内で選定されている「日本100名城・続日本100名城」

三重県内で選ばれている、「日本100名城」と「続日本100名城」は次の通りです。

日本100名城
・伊賀上野城
・松坂城

続日本100名城
・津城
・多気北畠氏城館(津市美杉町)
・田丸城
・赤木城(熊野市)

「三重県の城郭めぐり」スタンプラリー開催中!

出典:伊賀上野観光協会

冒頭でもお伝えした通り、7つの城郭をめぐって、設置されているスタンプを指定の用紙に集めると、三重県の特産品が当たる抽選に応募することができます。

桑名市・伊賀市・亀山市・津市・松阪市・玉城町・鳥羽市の7つの市町が合同で実施しています。

2017年12月に第1回目の抽選が開催されてから、現在で14回目。

当選者発表を見ていると、三重県内だけでなく全国から訪れた方も参加されているようです。

では、スタンプラリーの参加手順をお伝えしますね。

  1. 押印用紙応募用紙をこちらからダウンロードします
  2. 7つの城郭をめぐり、設置されたスタンプを所定の位置に押印します
  3. 最後のスタンプ設置場所で、応募用紙に確認印を押してもらいましょう
  4. その場で応募用紙を提出、もしくは郵送でもご応募できます
  5. 抽選結果を各観光協会HPで確認します(当選者には直接、賞品が発送されます)

抽選は年2回開催され、6月と12月に行われます。

1回の抽選には、1人につき1枚のみのご応募となりますが、イベントの開催が続く限り繰り返し参加することができます。

出典:写真AC(※写真はイメージ図になります)

豪華賞品のラインナップには、桑名のはまぐりで有名な料亭「日の出」の蛤鍋セットや伊勢海老、ブランド米やブランド肉などが挙げられています。

どの賞品が当たっても嬉しいですね!

知っておくとさらに楽しめる、お城の見方

お城について全くの知識がない方でも、人の手で築かれたとはとても思えないほどの壮大な石垣や天守を見るだけで、きっと感嘆の声を上げることでしょう。

しかしちょっとお城の知識を持っておくだけで、お城めぐりがさらに興味深いものに感じられるはずです。

お城に浅薄である筆者が知り得た、ちょっとした知識をこちらで共有いたします。

「城=天守」ではない?

出典:城びと様(丸岡城:現存天守のうちのひとつ)

「城=天守」というイメージが強く、天守がないと「お城がない」と思ってしまう方もいらっしゃるのではないでしょうか。

現存天守が残っているのは12基ですが、日本には数万のお城があると言われています。

天守は城の中の特別な建築物であることは確かですが、広辞苑には「敵を防ぐために築いた軍事的構造物」とあります。

おし広げて言うと、「敵が侵入できないように、何らかの方法で入り口以外を閉鎖した地域であり、侵入しようとする敵を攻撃できる設備を備えたもの」ということになります。

東京の「お台場」も、元々はペリー来航で慌てた幕府が湾岸防備のために急遽つくった大砲を置く「台」となる場所のことですが、こうした幕末の台場や砲台も城に含める場合があります。

実際に「日本100名城」の中には、吉野ヶ里遺跡のような環濠集落も登録されています。

城の立地別分類

出典:攻城団様

城は築かれた場所によって山城、平山城(丘城)、平城、水城に分けられます。
簡単に説明すると次の通りです。

●山城(やましろ)
  山の頂を利用していて、防衛に適している。城下町は造りにくい。
●平城(ひらじろ)
  平地に造られた城。領国統治や経済の中心としての役割が考えられる。
●平山城(ひらやまじろ)
  山城の長所と平城の長所を併せ持つ城。平野の中の丘陵や微高地を利用している。
●水城(みずしろ)
  湖沼や海を、城の防壁として取り込んだ城。

縄張形式

出典:松阪市観光プロモーションサイト

城の土木的な基礎設計プランを縄張といいます。
曲輪(くるわ)の配置・出入り口となる城門の配置・堀の配置・城内の通路の置き方・石垣や土塁の配置を決めることで、いかに本丸を守るか、敵を寄せ付けないかを考えて構成されています。

●曲輪(くるわ)
 城内はいくつかのエリアに分けて構造を複雑にし、攻めにくく構成されています。このエリアを曲輪と呼びます。その曲輪は「丸」と呼ばれることが多く、本丸、二の丸、三の丸などと表現されます。

城の構造物

出典:城びと様

●虎口(こぐち)
 城の出入り口のことで、通常はここに門が造られます。攻城戦の最前線となるため、簡単に進入できないよう様々な工夫が凝らされていました。城門までの通路を90度曲げることで、敵の侵入を困難にする「桝形虎口」や、門の上から攻撃ができる「櫓門」になっているお城も見られます。

●馬出(うまだし)
 虎口の外側に守りを固めるためと、兵が出撃するときの拠点とするために築かれた曲輪のことです。虎口の前に堀を掘ったり、土塁や石垣を築いて虎口に迫る敵を撃退するといった工夫が見られます。

●櫓(やぐら)
 城を守るための重要な建築物。武器等を保管するとともに、城に攻め寄せる敵を撃退する拠点になります。曲輪の石塁や土塁の隅角に建てられたものを隅櫓(すみやぐら)と呼びます。

天守の分類

出典:攻城団様

●現存天守
  江戸時代以前から残っているお城
●復元天守
  当時の図面をもとに再建したお城
●復興天守
  天守はあったとされるが、詳細な資料が見つからないため他の城の天守を参考に建てられたお城
●模擬天守
  天守が元々ない、もしくは別の場所に建てられたお城

石垣の加工技術と積み方、技法

石垣は城郭めぐりの見どころのひとつです。ぜひ覚えて、実際の石垣を見てみてください!

●野面積み(のづらづみ)
 自然石をほとんど加工せずに積み上げる手法。石垣は隙間が多く、排水性に優れていますが高く積むことはできません。

出典:城びと様

●打込接ぎ(うちこみはぎ)
 石材の角部分や、石材と石材の接合部分を平らに加工して隙間を少なくした加工法。野面積みよりも高くて急勾配の石垣が造ることができるようになりました。関ヶ原の戦い(1600年)以降の石垣に多く見られます。

出典:城びと様

●切込接ぎ(きりこみはぎ)
 石材を整形し、石材同士が隙間なく接合するように積んだ技法。特に元和期(1615~24年)以降に築かれた石垣によく見られ、その多くは急勾配となっています。石材同士が密着していて排水できないため排水口が設けられています。

出典:城びと様

●算木積(さんぎづみ)
 長辺の長さが短辺の長さの2~3倍程度になるよう石材を整形して、長辺と短辺が交互にくるように積み上げていく手法です。石垣隅部を強化することで、石垣全体の強度を上げることができます。

出典:城びと様

●布積(ぬのづみ)
 ある程度高さがそろった石材を使い、横の目地(継ぎ目)を通しています。高さをそろえるために石を同じ形に加工する手間が発生しますが、高い技術がなくても積み上げることができます。しかし、目地が通っているので、少し強度に問題があります。

●乱積(らんづみ)
 目地にこだわらず不規則に積み上げる方法です。安土桃山時代(1570年前後)以降に用いられた積み方です。乱積では長方形と多角形の石を同時に使うこともできますが、バランスがとりにくいため積み上げるのに高い技術が要求されます。

基本的には、石の加工で分類された「野面積み」「打込接ぎ」「切込接ぎ」の3種類と、「布積」と「乱積」の、計6通りの石垣に分けられます。

出典:城びと様

一部例外もありますが、石垣は石材の加工度合いと算木積の完成具合によって、造られた時代を推測することができます。

このお城の石垣はいつ頃のものなのか、築造年代を考えながら見学するのも面白そうですね。

城郭めぐりの見どころとスタンプ設置場所

三重県内には築城の名手と名高い藤堂高虎が築いた「赤木城跡」や、三重の天守閣がある「伊賀上野城」など、見どころが多数存在します。

しかし今回の城郭めぐりには、続日本100名城に選定されている「赤木城」や「多気北畠氏城館」は含まれていないため、本記事では割愛させていただきます。

それでは、7つの城郭めぐりで指定されている場所と見どころをご紹介しますね。

  • 桑名城跡
  • 伊賀上野城
  • 伊勢亀山城跡
  • 津城跡
  • 松坂城跡
  • 田丸城跡
  • 鳥羽城跡

桑名城跡

出典:桑名市観光サイト

まず最初にご紹介するのは、関ヶ原の合戦後である慶長6年(1601年)に戦国最強武将・本多忠勝が築いた桑名城です。

桑名城は揖斐川を利用した水城で、かつては95の櫓を有する「海道の名城」と称えられました。

桑名城の規模は大きく、櫓51(三重櫓3・二重櫓24 ・附櫓24)、多門櫓46、井戸14、水門3があり、城下町を含む総構を有していました。

また「七里の渡し」も含めた築港工事とともに城下町も整備され、揖斐川に面して扇を開いたような形から「扇城」とも言われています。

見どころ① 七里の渡跡

出典:桑名市観光サイト

東海道五十三次で知られる宮宿(愛知県名古屋市熱田区)から桑名宿(三重県桑名市)までをつなぐ、東海道唯一の海路です。

昔、熱田から桑名までの海路が七里(約28km)であったことから「七里の渡し」と呼ばれるようになり、当時は東海道五十三次の42番目の宿場町として、大変な賑わいだったそうです。

この船着場に建つ大鳥居は、これより伊勢路に入ることから「伊勢国一の鳥居」と称され、伊勢神宮の遷宮ごとに建て替えられています。

見どころ② 蟠龍櫓(ばんりゅうやぐら)

出典:桑名市観光サイト

「蟠龍」とは、天に昇る前のうずくまった状態の龍のことです。

龍は水を司る聖獣として中国では寺院や廟などの装飾モチーフとしても広く用いられています。

蟠龍櫓についても、航海の守護神としてここに据えられたものと考えられています。

平成15年(2003年)に国土交通省水門統合管理所を建造するにあたって、蟠龍櫓が外観復元されました。

東海道を行き交う人々が必ず目にしたであろう桑名のシンボルを、忠実に復元されています。

歌川広重の浮世絵「東海道五十三次」でも、海上の名城と謳われた桑名を表すために、この櫓を象徴的に描かれています。

こちらの管理所の2階は無料解放されていて、関係する資料も展示されています。

見どころ③ 九華公園

出典:桑名市観光サイト

城跡には現存建造物はなく、石垣と堀が残るのみです。

そして桑名城の本丸跡と二の丸跡には、約7.2haの広さがある九華公園が造られました。

お堀の周りにはソメイヨシノ、しだれ桜、山桜など約450本が咲き誇り、夜桜も楽しめる桜の名所となっています。

4月は桜、5月につつじ、6月に花しょうぶなど、現在では季節に応じてさまざまなイベントが行われており、たくさんの方が訪れていますよ。

周遊ができるようになっているので、歴史に思いをはせながら、ゆったりとお散歩してみてはいかがでしょうか。

見どころ④ 桑名城城壁

出典:桑名市観光サイト

正面の堀川東岸(三之丸地内)の城壁は、桑名城城壁の一部で、川口町揖斐川に面する川口樋門から南大手橋に至る延長約500mが現存し、市の文化財に指定されています。

積石の状態は乱積で、野面積み、打込接ぎの2工法で造られています。

また刻印を刻んだ積石も多く見られます。

この刻印は、石を切り出した丁場(石を切り出す現場)を担当した大名、あるいはこの石を運んだ大名を示す刻印であるとされています。

九華公園の管理事務所付近には刻印石が5つ屋外展示されていて、そのうちのひとつは蜂須賀家の刻印の可能性があるとされています。

見どころ⑤ 天守台跡

出典:桑名市観光サイト

本丸(鎮国守国神社)の北東には、桑名城の天守台の痕跡が残っています。

ここには「四重六階」の複合式「天守」が築かれていましたが、現在は規模を縮小して「打込接ぎ」の石垣を組み直して再現されています。

その上には明治20年築の尖塔のような「戊辰殉難招魂碑」が立っています。

見どころ⑥ 辰巳櫓跡

出典:シロスキーのお城紀行様

桑名城本丸の東南隅に位置する、三重櫓です。

元禄14年(1701年)の大火で天守が焼失した後は、辰巳櫓跡が桑名城のシンボル的存在となりました。

そのため辰巳櫓は、明治維新の時には落城のしるしとして新政府軍に焼き払われました。

跡地には現在も土盛りが残っていて、大砲が置かれていますが由来は不詳です。

スタンプラリー設置場所

出典:桑名市観光サイト

スタンプ設置場所は、桑名市物産観光案内所と住吉浦休憩施設に設置されています。

お店名

桑名市物産観光案内所

住所

桑名市有楽町59

電話番号

0594-21-5416

ホームページ

https://www.city.kuwana.lg.jp/kanko/miru/kankospot/kanko003.html

営業時間

9:00~17:00

定休日

12月29日~1月3日

アクセス

伊賀上野城

出典:伊賀上野城HP

続いてはご紹介するのは、日本100名城に選定されている伊賀上野城です。

山に囲まれた9里四方の、小さな伊賀盆地の北側の丘に築かれた平山城です。

伊賀上野城は当初、豊臣秀吉が大阪城を守るため、天正13年(1585年)筒井定次が長さ12間、幅7間の天守台の上に三重の天守を持つ城を築城したことから始まります。

その後、慶長13年(1608年)に定次が改易されると、築城の名手と名高い藤堂高虎が日本有数の高さ約30mという高石垣や水掘りを設けるなど大改修し、今度は大阪城を攻めるための役割となりました。

五重の天守も計画されましたが、慶長17年(1612年)にこの地を襲った暴風雨によって建設途中の天守は倒壊し、さらに大坂の陣により豊臣家が滅亡したことで戦略的な重要性が低下したため、天守は再建されませんでした。

結局、城全体も未完成に終わりましたが、津藩の支城として明治時代まで藤堂氏の一族が城代として居城しました。

そして明治になり多くの建物が解体されましたが、昭和10年(1935年)に個人の私財により木造で模擬天守が建てられ、伊賀上野を代表する風景となっています。

黒澤明監督の映画「影武者」など映画、テレビドラマのロケ地にしばしば選ばれています。

見どころ① 高石垣

出典:伊賀上野城HP

藤堂高虎が、大阪城の押さえとなるべく本丸の西側に築いた石垣で、高さが約30mもあります。

現在も残る国内の高石垣では、徳川期大阪城本丸東面の約32mに次ぐ、2番目の高さとなっています。

このふたつの石垣は互いに向かい合って立っているそうですよ。

打込接ぎの技法で築かれていて、隅角部は強固にした算木積で、藤堂高虎の石垣積みの特徴でもある、反りの無い直線的な勾配になっています。

見どころ② 天守閣

出典:伊賀上野城HP

昭和10年(1935年)に個人の私財により、木造で三重三階の模擬天守閣と二重二階の小天守が建てられました。

優雅な姿から「白鳳城」とも呼ばれ、伊賀のランドマークタワーとして市民に親しまれています。

内部には兜や甲冑などの武具が展示されています。

また、最上階の格天井には46枚の書画の色紙がはめ込まれています。

天守閣竣成を祝って、日本画家の横山大観はじめ著名な画家、書家、政治家などから寄贈されたものです。

見どころ③ 忍び井戸

出典:シロスキーのお城紀行様

小天守閣には、約50間(90m)ほどの深い井戸が設けられています。

籠城中の水を確保する目的の他にも、物資の搬入や、城内と外部とを行き来できるような抜け穴としても使われていたようです。

見どころ④ 唐冠形兜(とうかんなりかぶと)

出典:伊賀上野城HP

藤堂高虎が豊臣秀吉から拝領した兜で、藤堂高虎から藤堂玄蕃良重(げんばよししげ)に与えられました。

良重は大坂夏の陣で討ち死にしましたが、この兜は代々玄蕃家に受け継がれ、伊賀市に寄贈されたものです。

三重県指定文化財に指定されています。

見どころ⑤ 筒井天守跡石碑

出典:シロスキーのお城紀行様

伊賀上野城に最初に天守を築いたのは、天正13年(1585年)に大和郡山城から移ってきた筒井定次です。

現在の模擬天守が立っている位置の北東隅に「筒井天守跡石碑」がありますが、残念ながら天守台の本来の姿は分からなくなっています。

城代役所跡には、立派な虎口や井戸跡に加え、近年、台所門跡が整備されています。

スタンプラリー設置場所

出典:観光三重

スタンプは、だんじり会館内「伊賀上野観光インフォメーションセンター(伊賀上野観光協会)」に設置されています。

お店名

伊賀上野観光インフォメーションセンター(伊賀上野観光協会)

住所

〒518-0873 三重県伊賀市上野丸之内122−4 だんじり会館内

電話番号

0595-26-7788

ホームページ

https://www.igaueno.net/

営業時間

8時30分〜17時15分

定休日

12月29日~1月1日

アクセス

伊勢亀山城跡

出典:攻城団 もすもす様

続いては、目まぐるしく城主が入れ替わり、江戸時代は東海道の要衝だった伊勢亀山城跡です。

伊勢亀山城は、文永2年(1265年)に関実忠が亀山市若山町に築いたと伝えられています。

その後、現在の位置に還され、天正18年(1590年)に岡本宗憲が新たに築城したとされています。

しかし一国一城令により、丹波亀山城(京都府)の天守を解体するよう命じられた堀尾忠晴が、誤って伊勢亀山城の天守を取り壊してしまいました。(諸説あり)

それから寛永13年(1636年)には、城主となった本多俊次の手で大改修が行われ、天守を失った天守台に多門櫓が築造されました。

この多門櫓は、当時の位置のまま残る中核的城郭建築として三重県下では唯一のもので、全国的に見ても現存する多門櫓として貴重なものです。

明治6年の廃城令によりほとんどの建造物は取り壊され、現在は多門櫓と石垣、土塁、堀の一部のみが残っています。

平成13年(2001年)より、毎年4月上旬に「亀山城桜まつり」が開催されています。

見どころ① 多門櫓

出典:津市観光協会

三重県で唯一現存する城郭建造物で、県指定文化財に指定されています。

天守台と言われる本丸高石垣上にあり、寛永9年(1632年)頃に築造されたとみられます。

平成の修理を終えたことで、壁面の白漆喰総塗籠めが綺麗で印象的です。

無料で内部を見学することができます。

見どころ② 埋門跡

出典:攻城団 ゆずあんこ様

埋門とは、半分地下に潜る形で造られた小さな門のことで、伊勢亀山城にある6箇所の帯曲輪への入口の門として使用されていました。

門の礎石の間には、玉石が敷き詰められている箇所があり、当時埋門の上には二の丸北櫓が建てられていました。

見どころ③ 土塀

出典:城郭めぐりパンフレット

伊勢亀山城の北側には二の丸帯曲輪があり、土塀が復元されています。

埋門跡を通過していくことができます。

スタンプラリー設置場所

出典:亀山市HP

スタンプは、亀山市役所1階受付に設置されています。

お店名

亀山市役所1階受付

住所

亀山市本丸町577

電話番号

0595-82-1111

ホームページ

営業時間

8:30~17:15

定休日

土曜日
12月29日~1月3日

アクセス

津城跡

出典:観光三重

津城は、織田信包(信長の弟)が天正8年(1580年)に創築し、以後、津は城下町として発展してきました。

岩田川と安濃川の三角州に二重の水堀を設けた縄張りで、本丸の東西に東の丸と西の丸を直列に配し、その周囲を内堀で囲み、その周りを二の丸、更に二の丸を外堀で囲んだ、輪郭式の平城でした。

内堀に至っては、最大幅100mにも及ぶ広大なもので、湖上に浮かぶ島の様であったと云われています。

また、本丸には三重の櫓が2基、二重の櫓が3基が建てられ、それらを多聞櫓で接続した厳重な造りであったとされています。

現在では、模擬復興された三重櫓と天守台、本丸、西の丸の石垣、本丸北の内堀が残る城跡です。

「続日本100名城」に選定されています。

見どころ① 高石垣(北側)と内堀

出典:観光三重

本丸の周囲を整然と積まれていて、藤堂高虎の石垣積み技術を垣間見る事が出来ます。

石垣の下にちょっとしたスペース、犬走りがあるのが藤堂高虎の特徴です。

こうすることで、石垣を補強する効果があるそうです。

積み方は場所によって異なり、乱積や野面積みなどの方法が採用されています。

水堀越しの高石垣(+多聞櫓)は鉄壁となるため、攻城側は必然的に西の丸か東の丸を経由して、本丸へと攻め込むしかありません。

こちらの高石垣には階段が付いているので、多門櫓の長大さや内堀の広さを櫓台上から実感することができます。

見どころ② 模擬三重櫓

出典:観光三重

本丸東側の虎口に、津城のシンボル的な存在の模擬櫓が見られます。

三重櫓は昭和33年に市民の寄附によりコンクリート製で模擬再建されたもので、観光用に見栄えの良さを考えて造られているようです。

見どころ③ 藤堂高虎の銅像

出典:やっちんのお城ブログ様

お城公園内には、馬上に跨り頭には「唐冠形兜」を着けた勇ましい「藤堂高虎」像が立っています。

見どころ④ 天守台

出典:やっちんのお城ブログ様

織田信包が築城した際には、五重の天守がありました。

高虎が城主となった際に、大改修を行い、三重「大天守」と二重「小天守」が建てられていた様子が江戸時代初期の「津城下図」に描かれています。

大小の天守台が残るのはそのためです。

現在は石垣のみですが、綺麗に積まれていて実際に見ると迫力があります。

石垣の積み方が南西側と北東側で違い、修築が施されたのだなと考えることができます。

さらに、天守台の横には埋門があります。

現在は埋門の外側は埋め立てられていますが、当時は内堀がありました。

見どころ⑤ 入徳門

出典:やっちんのお城ブログ

1820年に開設された、当時二の丸の東側に置かれていた藩校「有造館」の正門を移築したものです。

現存していて、当時の建造物が残っているのは貴重で、朱色に塗られているのが特徴的です。

スタンプラリー設置場所

出典:観光三重

スタンプは、藤堂高虎を祀る高山神社(こうざんじんじゃ)に設置されています。

お店名

高山神社

住所

〒514-0033
三重県津市丸之内27-16

電話番号

059-225-8558

ホームページ

営業時間

9:00~16:00

定休日

なし

アクセス

松坂城跡

出典:伊勢志摩観光ナビ

続いて、三重県松阪市にある松坂城をご紹介します。

日本100名城に選定されています。

元々松ヶ島城という城が存在し改築予定でしたが、お城の場所が商業、戦闘にも向かないと蒲生氏郷は判断し、1588年に場所を変えて築城した平山城です。

当時、大阪に本拠地を構えていた豊臣秀吉に習って、大阪の「坂」を取り、松ヶ島城→松坂城とされました。

現在は「松阪」ですが、城としては「松坂」と当時の名前をそのまま残してあります。

現在でも、天守台や本丸、二の丸等の高石垣が残され、見どころとなっています。

主要な曲輪は全て石垣で築かれ、折れを多用した複雑な縄張りであり、「守り重視の桝形構造」になっています。

とにかく野面積みでのこの高さの石垣は必見です。

見どころ① 石垣

出典:松阪市観光プロモーションサイト

約16×17mの不等辺四角形をしている天守台の石垣は、古式な野面積みで積まれています。

また、二の丸や隠居丸などの石垣は、江戸期に打込接ぎや算木積の技法を用いて修復されています。

石の積み方に着目してみてくださいね。

出典:松阪市観光プロモーションサイト

他にも、築城には大量の石材が必要だったため、松阪近郊の石という石が集められたといわれていて、中には古墳時代の石棺の蓋も混じっています。

石棺の蓋は今も天守台などで見かけることができます。

見どころ② 守り重視の桝形構造

出典:松阪市観光プロモーションサイト

松坂城跡を訪れて感じるのは、天守台まで行こうと思っても何度も道を折れ曲がっていて、なかなかたどり着けないことです。

表門や裏門の周囲には高い石垣に囲まれた空間があり、その中を2度折れ曲りながら先へ進む「枡形構造」になっています。

特に裏門からは、天守に至るまでに枡形が4度も続き、厳重な構造となっていることがわかります。

見どころ③ 助左衛門御門跡

出典:松阪市観光プロモーションサイト

石垣で造られた櫓台があります。綺麗に積まれているため、櫓台の形がはっきりと分かります。

門横に位置した櫓から、門を突破しようとする敵に側面攻撃出来る縄張りになっています。

松坂城は石垣の上を歩けるようになっていますので、高さを体感してみてください。

しかし、柵が無いので転落には気を付けてくださいね。

見どころ④ 御城番屋敷

出典:松阪市観光プロモーションサイト

松坂城裏門跡を出た先に、石畳の両側に武家屋敷が並んだひときわ目を引く一画があります。

ここはかつての松坂城三ノ丸の中です。

美しく整えられた槇垣(まきがき)を巡らした御城番屋敷は、松坂城を警護する「松坂御城番」という役職の武士20人とその家族が住んだ武士の組屋敷です。

現存する江戸時代の武家屋敷でも最大規模を誇る貴重な建造物で、平成16年に国指定重要文化財に指定されました。

見どころ⑤ 本居宣長旧宅(鈴屋)

出典:松阪市観光プロモーションサイト

本丸の南側で二ノ丸の西側には、隠居丸があります。

松坂城は蒲生氏郷のあと、服部一忠を経て、古田重勝が3万4千石で入城しました。

隠居丸は、その古田重勝が隠居するために設けた曲輪と伝えられます。

現在、隠居丸跡には、松阪出身の江戸時代の国学者・本居宣長の旧宅「鈴屋(すずのや)」があります。

魚町1丁目にあった本居宣長旧宅を保存しようという声が高まり、明治42年に隠居丸跡地に移築され、隣には管理事務所として桜松閣(おうしょうかく)が建設されました。

本居宣長旧宅と同宅跡は、昭和28年に国指定特別史跡に指定されています。

スタンプラリー設置場所

出典:松阪市HP

スタンプは、歴史民俗資料館に設置されています。

休館日の場合は、松阪駅観光情報センター、豪商のまち松阪観光交流センターに置かれています。

お店名

松阪市立歴史民俗資料館

住所

松阪市殿町1539

電話番号

0598-23-2381

ホームページ

https://www.city.matsusaka.mie.jp/site/rekisiminzoku/

営業時間

9:00~16:30(4月~9月)
9:00~16:00(10月~3月)

定休日

月曜日、祝日の翌日、年末年始(その他、臨時休館あり)

アクセス

田丸城跡

出典:伊勢志摩観光ナビ

平成29年(2017年)に「続日本100名城」に選定されました。

田丸城は古来、玉丸城と称され、南北朝時代の延元元年(1336年)に、北畠親房が南朝側の拠点として砦を築いたことに始まります。

その後、北朝側に攻め落とされますが、北畠氏の城として田丸(玉丸)氏等その一族が居城しました。

戦国時代、織田信長軍の伊勢進攻を受け、天正3年(1575年)には北畠信雄(織田信長の次男茶筅丸)が、田丸城を石垣や三層の天守をもつ城へと大改修しました。

しかし、天正8年(1580年)放火により炎上し、信雄は松ヶ島城へと移りました。

現在、城跡には石垣や天守台などの建造物が当時の姿を留めるほか、春には桜、夏には紫陽花や大賀蓮、秋には紅葉、冬にはライトアップと、1年を通して自然や景観が楽しめるスポットとして、多くの人が訪れています。

見どころ① 石垣

出典:玉城町役場HP

自然の岩を、その形を生かして積み上げる野面積みの美しい石垣を見ることが出来ます。

本丸・二の丸・北の丸の複雑な石垣がしっかり残っているので、往時の面影が偲ばれます。

見どころ② 富士見門

出典:攻城団様

富士見門は田丸城にあった8つの城門のうちのひとつで、三の丸と二の丸をつなぐ場所に設けられていました。

廃城時に民間に払い下げられ移築現存していたものを、昭和59年(1984年)3月に再移築されました。

長屋門形式の門で、江戸中期に建てられてたと推定されます。

旧奥書院・富士見門ともに平成6年(1994年)12月8日に、玉城町の有形文化財に指定されました。

見どころ③ 旧三の丸御殿 奥書院

出典:攻城団様

江戸時代二百数十年間に渡り田丸を支配した久野家は、代々紀州藩の家老職にあったため、田丸には城代家老がおかれ、一代のうち数度入城するに過ぎませんでした。

この御書院は、もともとは三の丸御殿の一部で、久野城主が田丸入城の際に居間、寝所の間として使われたものです。

建物は典型的な書院つくりで、花頭窓(火燈窓)とよばれる書院窓が特徴で、欄間は障子になっています。

スタンプラリー設置場所

出典:三重県内の博物館・資料館

スタンプは、村山龍平記念館に設置されています。

お店名

村山龍平記念館

住所

度会郡玉城町田丸114-1

電話番号

0596-58-8212

ホームページ

https://www.bunka.pref.mie.lg.jp/kennai/kennaiDetail?id=835883

営業時間

9:00~17:00(土曜・日曜・祝日は16:30まで開館)

定休日

12月29日~1月3日

アクセス

鳥羽城跡

出典:伊勢志摩観光ナビ

鳥羽城跡は、水軍の基地に適しており、標高40mの小山を中心に築かれた平山城です。

南方山頂部に設けられた本丸を中心に、自然地形を利用して雛壇状に曲輪を配しています。

鳥羽城は文禄3年(1594年)に、織田信長や豊臣秀吉のもとで水軍大将として活躍した、九鬼嘉隆(くきよしたか)によって築かれました。

出典:鳥羽城跡パンフレット

大手門は海に開いた水門で、内陸側には堀を巡らせ、四方を海に囲まれた「海城」でした。

外曲輪を含めた総面積は32.280坪であり、内陸部からは藤口門、横町口門、相橋口門の3つの橋で連絡し、天守をはじめ13の櫓が廃城時にはありました。

城内は絵図によると、本丸の北西寄りに3重の天守があり、南側には本丸御殿があったようです。

明治時代のはじめに建物は解体され、現在は本丸周辺や市文化会館の裏に石垣の一部が残っているのみですが、当時の面影を残しています。

本丸跡は鳥羽小学校のグラウンドとして平成20年まで、家老屋敷跡は鳥羽幼稚園として平成15年まで使用されていました。

見どころ① 石垣

出典:伊勢志摩観光ナビ

本丸周囲に残る石垣は、自然石を積んだ野面積みで戦国時代に築かれたものだと推測されています。

石垣に使用されている石材は、カンラン岩と千枚岩で、海水の浸食を受けた跡が見られることから、周辺の海岸部で採取したものだと考えられています。

見どころ② 相橋

出典:お城めぐりFAN様

武家屋敷から鳥羽城に上がるために武士が利用した橋で、城の陸側の玄関口となっていました。

城側の護岸には石垣が見られ、江戸時代から残る堀の一部だそうです。

この水堀は妙慶川で、古来は志摩国と伊勢国の国境でした。

見どころ③ 唐人門跡

出典:攻城団 ぴんぞう様

妙慶川の河口付近にあたり、江戸時代からの船着場として、鳥羽城下町の玄関口として機能した場所です。

明治10年(1877年)に明治天皇が鳥羽に立ち寄った時にもここから上陸されたとされています。

現在では、冠木門が復元されています。

スタンプラリー設置場所

出典:攻城団様

スタンプは、鳥羽市歴史文化ガイドセンター内に設置されています。

お店名

鳥羽市歴史文化ガイドセンター

住所

鳥羽市鳥羽1-10-48

電話番号

0599-25-8255

ホームページ

https://www.city.toba.mie.jp/soshiki/k_shakaikyoiku/gyomu/shisetsu_annai/1963.html

営業時間

9:00~16:00

定休日

火曜日

アクセス

お城の登城記念「御城印」

出典:城郭めぐりパンフレット

最近では「御城印」を発行するお城が急増しているのを知っていますか?

「御城印」とは、 半紙(和紙)に城名やゆかりある城主の家紋や花押などの印を押したものです。

見た目はお寺や神社でいただける御朱印を参考にされていて、登城の記念にいただけます。

「御城印」の呼び方以外にも、「登閣記念印章」「登城記念御朱印」「城郭符」「御城朱印」などお城によってさまざまです。

ちなみにお城や城郭保存協会で発行される御城印の売り上げは、城郭整備などに活用されていますよ。

天守閣のあるお城以外で、城跡でも御城印をいただけるところがあります。

御城印はあらかじめ印刷されたものや、記念スタンプのように各自で押印するもの、期間限定で発行される特別御城印など、形式はさまざまです。

注意点
 お城の「御城印」と寺社の「御朱印」は意味合いが全く異なります。
 特にお城の中や城跡にある寺社の御朱印との混同には要注意です。
 御城印を収納する「御城印帳」もありますので、御朱印とは分けて保管しましょう。

城郭めぐりでいただける、御城印の領付場所

今回の城郭めぐりで訪れた城跡の、御城印領付場所は下記のとおりです。

城郭めぐりのスタンプラリー設置場所と御城印の領付場所とでは場所が違うことがありますので、注意してくださいね。

  • 桑名城跡→桑名市物産観光案内所(城郭めぐりスタンプ設置場所と同じ)
  • 伊賀上野城→城内チケット販売窓口
  • 亀山城跡→亀山市観光協会:JR関駅構内
  • 津城跡→津駅前観光案内所:津駅前アスト津1階
  • 松坂城跡→歴史民俗資料館(城郭めぐりスタンプ設置場所と同じ)
  • 田丸城跡→村山龍平記念館(城郭めぐりスタンプ設置場所と同じ)
  • 鳥羽城跡→鳥羽市歴史文化ガイドセンター(城郭めぐりスタンプ設置場所と同じ)

参考資料

本記事を書くうえで、参考にさせていただいたサイトや資料をご紹介します。

時代によってどのようにお城造りが変わってきたのか、攻めてきた敵を退けるための仕掛けなど、分かりやすく説明してくださっています。

こちらを見てみると、お城めぐりの面白さがきっと倍増しますよ!

さいごに

本記事では、「三重県にある7つの城郭をめぐって豪華賞品が当たる」というイベントをご紹介しました。

城びと様の豆知識ページで書かれていましたが、お城めぐりで最も重要なことは「お城を楽しむ」ということ。

お城ファンはよく「行きは攻める敵兵の気持ちで、帰りは守る城兵の気持ちで」なんて例えるそうです。

このように敵兵になって城を攻める気持ちで見学したり、石垣を見て「いつ頃造られたものだろう」と時代当てをしてみたり。

さまざまな視点で見てみると、お城見学がより充実したものになりますね!

城跡は広く高低差がある場合も多いので、お散歩には足腰が鍛えられて健康にも良さそうです。

また四季折々のお花が観賞できるスポットにもなっているので、今も昔も賑わう城跡を楽しんでくださいね。

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この記事を書いた人

menou

menou

三重県で生まれ、学生時代は特に三重県の魅力に意識することなく過ごしてきました。 大阪に出て10年近く生活していたけれど、三重の程よい自然が恋しくなりUターンすることに。 三重県民がより活き活きとした生活を送れるように、情報を発信していきます♪

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