四日市の公害対策とは?四日市ぜんそくの歴史と現在をやさしく学ぶ

四日市市と聞いて、何を思い浮かべますか。コンビナートの夜景、萬古焼(ばんこやき)の土鍋、駅の近くの博物館やプラネタリウム。四日市には、さまざまな顔があります。

そして、四日市は、かつて大気汚染による公害を経験したまちでもあります。「四日市ぜんそく」は、水俣病、新潟水俣病、イタイイタイ病とともに「四大公害病」の1つとされています。

この記事では、授業のように順を追って、四日市で何があったのか、その後どのような取り組みが進められてきたのか、そして、いまの四日市がどんなまちなのかを学んでいきます。歴史を知ることは、今のまちを知り、これからの暮らしを考えることにつながります。

📘 先に結論|3行でわかる四日市ぜんそく
1
四日市ぜんそくは、四日市市で起きた大気汚染による公害で、「四大公害病」の1つとされています。
2
原因とされたのは、工場の煙に含まれていた亜硫酸ガス(二酸化硫黄)。昭和47年(1972年)の裁判で、原告の訴えが認められました。
3
令和6年度の県内の大気の測定(15の測定局)では、二酸化硫黄はすべての測定局で環境基準を達成しています。
※出典は、記事の最後にまとめています。
🕒 今日の時間割
1時間目 まちと工業の歩み 2時間目 四日市ぜんそくとは 3時間目 裁判 4時間目 公害を防ぐ取り組み 5時間目 現在の環境 6時間目 学べる場所 7時間目 いまの四日市 8時間目 私たちにできること

1時間目:四日市のまちと工業の歩み

四日市市は、工場が集まる「コンビナート」で知られるまちです。コンビナートとは、原料や製品をやり取りしながら、複数の工場が集まって操業する地域のことです。

四日市では、1959年に第1コンビナートが本格的に稼働しました。四日市ぜんそくは、この第1コンビナートに隣接する地区で起きました。

四日市コンビナートについては、こちらの記事も参考にしてください。

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2時間目:四日市ぜんそくとは

どこで、いつ起きたのか

昭和35年頃(1960年頃)から、第1コンビナートに隣接する磯津(いそづ)地区と塩浜(しおはま)地区で、呼吸器系の病気が集中して発生しました。

原因は何だったのか

原因とされたのは、工場の煙突から出る煙に含まれていた亜硫酸ガス(二酸化硫黄)です。二酸化硫黄は、硫黄酸化物の一種です。

どのような影響があったのか

この地域では、ぜんそくの症状で呼吸がとても苦しくなる人がいました。また、工場の近くでは、子どもに頭痛や目の痛みが出るなど、日々の暮らしにも影響がありました。

空気を測ることのはじまり

大気の汚れを数字で把握するため、磯津町に、県内で初めての二酸化硫黄の自動測定器が設置されました。

📖 用語ミニ解説
亜硫酸ガス(二酸化硫黄)
四日市ぜんそくの原因とされた物質です。「亜硫酸ガス」と「二酸化硫黄」は、同じ物質を指します。
硫黄酸化物(SOx)
硫黄と酸素が結びついた物質の総称です。二酸化硫黄は、その一種です。
磯津(いそづ)地区・塩浜(しおはま)地区
四日市市の地区で、第1コンビナートに隣接しています。昭和35年頃から、呼吸器系の病気が集中して発生しました。
四大公害病
水俣病、新潟水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそくの4つを指します。
📝 2時間目のまとめ
① 四日市ぜんそくは、四日市市で起きた大気汚染による公害
② 原因とされたのは、工場の煙に含まれていた亜硫酸ガス(二酸化硫黄)
③ 昭和35年頃から、磯津地区・塩浜地区で呼吸器の病気が集中して発生

3時間目:裁判(1967〜1972年)

裁判のはじまり

昭和42年(1967年)9月、磯津地区の患者9人が、第1コンビナートの6つの企業を相手に、裁判を起こしました。

判決

昭和47年(1972年)7月、裁判所は原告の訴えを認め、企業に賠償を命じました。判決はあわせて、企業に対し、大気汚染を防ぐために最大限の努力をするよう求めました。また、コンビナートの計画をつくった国・県・市の対応が十分でなかった点にも触れました。

判決のあと

企業は判決を受け入れ、公害を減らす取り組みを続けました。また、裁判に加わらなかった磯津地区の患者も、企業と直接交渉を行い、解決に至りました。

📝 3時間目のまとめ
① 昭和42年(1967年)9月、磯津地区の患者9人が、第1コンビナートの6つの企業を相手に裁判を起こした
② 昭和47年(1972年)7月、裁判所は原告の訴えを認め、企業に賠償を命じた
③ 判決は、大気汚染を防ぐための最大限の努力も求めた

4時間目:公害を防ぐための取り組み

裁判の前後から、医療、測定、企業との約束、工場の設備など、さまざまな面で取り組みが進められました。

医療費の負担

塩浜自治会が医療費の負担を始めたあと、昭和40年(1965年)には、市が公害患者の治療費を負担する制度を始めました。これは、大気汚染による患者の医療費を市の費用で負担する、わが国で初めての制度とされています。

空気を測る

昭和43年(1968年)には、三重県が、測定したデータを自動で送る「テレメーター方式」による、大気汚染の常時監視を始めました。

企業との約束

昭和44年(1969年)5月、市は第3コンビナートと「公害防止協定」を結びました。

工場の設備と排出の規制

工場では、排煙脱硫装置や脱硝装置の設置が進みました。また、判決より前に、県の条例で、地域全体の排出量を抑える「総量規制」の仕組みがつくられました。

総量規制とは、工場が集まる地域で、施設ごとの規制だけでは環境基準の達成が難しい場合に、地域全体の排出量を抑える仕組みです。

救済のしくみ

昭和48年(1973年)に、公害による健康被害の補償に関する法律ができました。昭和49年(1974年)には、四日市市に認定審査会が設けられ、国の制度による救済が始まりました。

環境基準の達成

昭和51年度(1976年度)の測定結果で、四日市地域の二酸化硫黄は環境基準を達成しました。

🗓️ 四日市ぜんそく 年表
1959年
(昭和34年)
第1コンビナートが本格的に稼働
1960年頃
(昭和35年頃)
磯津地区・塩浜地区で、呼吸器系の病気が集中して発生
1965年
(昭和40年)
市が、公害患者の治療費を負担する制度を始める
1967年
(昭和42年)
9月、磯津地区の患者9人が、第1コンビナートの6社を相手に裁判を起こす
1968年
(昭和43年)
三重県が大気汚染の常時監視(テレメーター方式)を始める
1969年
(昭和44年)
5月、市が第3コンビナートと「公害防止協定」を結ぶ
1972年
(昭和47年)
7月、裁判所が原告の訴えを認め、企業に賠償を命じる
1973年
(昭和48年)
公害による健康被害の補償に関する法律ができる
1974年
(昭和49年)
四日市市に認定審査会が設けられ、国の制度による救済が始まる
1976年度
(昭和51年度)
測定結果で、四日市地域の二酸化硫黄が環境基準を達成
出典:四日市市の資料、四日市公害と環境未来館の資料(記事の最後に一覧があります)
📝 4時間目のまとめ
① 昭和40年(1965年)、市が公害患者の治療費を負担する制度を始めた
② 昭和43年(1968年)、三重県が大気汚染の常時監視を始めた
③ 昭和44年(1969年)、市が第3コンビナートと公害防止協定を結んだ
④ 昭和51年度(1976年度)、四日市地域の二酸化硫黄が環境基準を達成した

5時間目:現在の環境

大気の測定は続いている

三重県と四日市市は、大気汚染防止法にもとづいて、県内の大気環境の測定を行っています。

二酸化硫黄の結果

令和6年度の測定結果では、県内の二酸化硫黄は、一般環境測定局14局と自動車排出ガス測定局1局のすべてで、環境基準を達成しました。これは県内の測定局の結果で、四日市市だけの数字ではありません。

さらに詳しく知るには

最新の測定結果は、三重県のホームページで公表されています。

📊 令和6年度 県内の大気測定結果(二酸化硫黄)
一般環境測定局
14局
自動車排出ガス測定局
1局
環境基準の達成
すべての測定局
年平均値の範囲
0.000〜0.001ppm
※県内の測定局の結果で、四日市市だけの数字ではありません。0.000ppmは、小数点以下4桁目を四捨五入して3桁目まで表示するため、0.0005ppm未満の値を表しています。
出典:三重県「令和6年度大気環境測定結果を公表します」(令和7年10月1日掲載)
📝 5時間目のまとめ
① 三重県と四日市市が、県内の大気環境を測定している
② 令和6年度、県内の二酸化硫黄は、測定した15局のすべてで環境基準を達成(県内の測定局の結果)
③ 最新の結果は、三重県のホームページで公表されている

6時間目:学べる場所「四日市公害と環境未来館」

四日市市には、四日市公害の歴史と、環境改善の取り組みを学べる「四日市公害と環境未来館」があります。四日市市立博物館、プラネタリウムとあわせて「そらんぽ四日市」を構成する3つの施設の1つです。

展示は、「産業の発展とくらしの変化」「公害の発生」「まちづくりの変遷」「環境改善の取り組み」「四日市の現在と未来」の5つのコーナーに分かれています。

所在地、開館時間、休館日、入館料などは、変更されることがあるため、公式ページで確認してください。

🏛️ 学びに行ける場所:四日市公害と環境未来館

四日市公害の歴史と、環境改善の取り組みを学べる四日市市の施設です。「そらんぽ四日市」を構成する3つの施設のひとつで、同じ建物に四日市市立博物館とプラネタリウム(GINGA PORT401)があります。

展示は5つのコーナーで構成されています
① 産業の発展とくらしの変化 ② 公害の発生 ③ まちづくりの変遷 ④ 環境改善の取り組み ⑤ 四日市の現在と未来

※開館時間・休館日・料金などは変更されることがあります。お出かけの前に、公式ページでご確認ください。

7時間目:いまの四日市を知る

四日市は、歴史を学べるまちであると同時に、見どころのあるまちでもあります。ここでは、公式の資料や観光情報で紹介されている場所を取り上げます。

工場夜景(四日市港ポートビル)

四日市港ポートビルは、2015年に「日本夜景遺産」(施設型夜景遺産)に認定されています。四日市のコンビナートの夜景を撮影するために、県内外から多くの人が訪れるとされています。

四日市萬古焼(ばんこやき)

四日市萬古焼は、昭和54年に経済産業省(当時の通商産業省)から「伝統的工芸品」に指定されています。現在は、土鍋を中心とした耐熱陶器の産地として、全国に製品を送り出しています。

そらんぽ四日市

近鉄四日市駅の西側、徒歩約3分のところに、四日市市立博物館があります。博物館には、原始・古代から江戸時代までの四日市の歩みを紹介する展示エリア「時空街道」があります。また、プラネタリウムは、「宇宙からみた地球、宇宙からみた四日市」という視点で、地球環境を投映していると紹介されています。

四日市をもっと知る

ミエタイムでは、四日市のまちや暮らしを紹介する記事を掲載しています。

📝 7時間目のまとめ
① 四日市港ポートビルは、2015年に日本夜景遺産(施設型夜景遺産)に認定された
② 四日市萬古焼は、昭和54年に国の伝統的工芸品に指定された
③ 近鉄四日市駅の西側、徒歩約3分に四日市市立博物館がある

8時間目:私たちにできること

歴史を学んだうえで、私たちにできることを考えてみましょう。

歴史を知る

未来館を訪れたり、この記事で紹介した公式の資料を読んだりして、四日市で何があったのかを知ることが第一歩です。

大気の状況を見てみる

三重県は、大気の測定結果をホームページで公表しています。暮らしている地域の空気の状況に関心を持つことも大切です。

身近なところから

ごみを分別する、電気をこまめに消すなど、日々の暮らしの中でできることを続けていきましょう。

まとめ:歴史を知り、これからのまちを考える

四日市ぜんそくは、四日市市で起きた大気汚染による公害です。判決の前後から、医療費の負担、大気の常時監視、企業との協定、工場の設備の設置など、さまざまな取り組みが進められてきました。

現在の大気については、令和6年度の県内の測定で、二酸化硫黄はすべての測定局で環境基準を達成しています。

四日市には、夜景や萬古焼、博物館やプラネタリウムなど、見どころもあります。起きたことを知り、伝えていくこと。そして、いまのまちを知ること。それが、これからのまちと暮らしを考える土台になります。

確認テスト

学んだことを、確認してみましょう。答えは、クリックすると表示されます。

✏️ 確認テスト(全3問)
問1

四日市ぜんそくの原因とされる、工場から出た大気中の物質は何でしょう。

答えを見る

亜硫酸ガス(二酸化硫黄)です。硫黄酸化物のひとつです。

問2

昭和42年(1967年)9月、磯津の患者さん9人が裁判を起こしました。訴えられたのは、第1コンビナートの何社でしょう。

答えを見る

6社です。

問3

昭和47年(1972年)7月に、裁判の判決が出ました。判決の内容として正しいものは、次のうちどれでしょう。
ア:訴えは認められなかった イ:患者さん側の訴えが認められ、賠償が命じられた

答えを見る

イです。患者さん側の訴えが認められ、賠償が命じられました。あわせて、大気汚染の防止に最大限の努力をするよう求められました。

よくある質問

❓ よくある質問
Q. 四日市ぜんそくとは何ですか?

四日市のコンビナートから出た大気汚染による公害です。水俣病、新潟水俣病、イタイイタイ病とあわせて、四大公害病のひとつとされています。

Q. いつ、どこで起きたのですか?

昭和34年(1959年)に第1コンビナートが本格的に稼働し、昭和35年ごろから、磯津や塩浜の地区に呼吸器の病気が多く見られるようになりました。

Q. 原因は何ですか?

工場から出た亜硫酸ガス(二酸化硫黄)が原因とされています。硫黄酸化物のひとつです。

Q. 裁判の結果はどうなりましたか?

昭和42年(1967年)9月に、磯津の患者さん9人が第1コンビナートの6社を訴えました。昭和47年(1972年)7月の判決では、患者さん側の訴えが認められ、賠償が命じられました。あわせて、大気汚染の防止に最大限の努力をするよう求められました。

Q. どんな対策が進められましたか?

工場では、排煙の脱硫装置や脱硝装置の設置が進みました。また、地域全体の排出量を定めて減らす「総量規制」も、判決より前から県の条例で仕組みがつくられました。企業は判決を受け入れ、取り組みを続けました。

Q. 今の空気は、どうなっていますか?

令和6年度の県内の大気の測定(15の測定局)では、二酸化硫黄はすべての測定局で環境基準を達成しています。ただし、これは県内の測定局の結果で、四日市市だけの数字ではありません。

Q. 四日市公害について学べる場所はありますか?

四日市市の「四日市公害と環境未来館」で学べます。「そらんぽ四日市」を構成する3つの施設のひとつで、5つのコーナーで公害の歴史と環境改善の取り組みを紹介しています。開館時間や料金は、公式ページでご確認ください。

出典

📚 この記事の出典

この記事は、次の公式資料などをもとに作成しています。

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