治療院独立で新天地の「にしひの鍼灸接骨院」怪我に悩まされた元アスリートが鍼灸師・柔道整復師として地元に貢献!
三重県で活躍する三重人=ミエタイマー。
ミエタイムでは、三重県のあらゆる場所で活躍するミエタイマーにスポットを当て、ミエタイマーの紹介はもちろんのこと、ミエタイマーを通して「三重県の魅力」を全国へ紹介しています。
第一弾では、三重県四日市市で野球教室「あかほりベースボールアカデミー」を運営する小林晃徳さんをご紹介しました。
第一弾記事はこちら↓
第二弾となる今回の主役は、三重県四日市市西日野町で「にしひの鍼灸接骨院」を運営されている柴田 晃司(しばた こうじ)さんです。
鍼灸師・柔道整復師となり地元へ貢献したいという強い思いを持って日々患者さんに向き合っておられます。
今回の取材では、柴田さんが鍼灸師・柔道整復師になると決めたきっかけや、体の不調で悩む方へのメッセージなど、インタビュー形式で前編・後編に分けてお届けしていきます。
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院長プロフィール・診療時間など
自己紹介をお願いします。
柴田 晃司です。地元の三重県四日市市出身の36歳です。
資格は鍼灸師と柔道整復師の2つを持っています。
にしひの鍼灸接骨院の診療日について教えてください。
月・火・水曜日と営業しており、木・日曜日がお休みです。
祝日は問い合わせてもらってっという形でやっております。
ありがとうございます。どのような診療内容でしょうか。
例えば、肩こりとか、腰痛とか、慢性的な症状に対しては電気治療や針治療・マッサージをやらせてもらっていて、あとは、スポーツとか日常生活、 仕事でも怪我をされることがあると思うので、そういったものに対しても同じように症状に合わせて治療をさせてもらっています。
資格取得のきっかけから独立するまで
鍼灸師・柔道整復師の資格を取ろうと思った、この仕事に興味を持ったきっかけというのは何かあるんでしょうか。
きっかけっていうのが、自分自身、小学校から大学まで野球をずっとやっていて、 その中でも結構小さい頃から怪我をすることが多くて、その度に病院だったり、こういう治療院という所に通うことが多くて、学生生活、限られた時間の中でプレーができないっていう悔しさというか、もどかしさみたいなのを自分自身が感じてきたので、同じ悩みを持つ子たちを少しでも早くプレイに復帰できるように手助けできたらなっていうのを、特に高校生の時から意識し始めて、こういう治療の道に進みたいなって思うようになりました。
高校卒業後、資格を取るための進路を選ばれたのでしょうか。
そうですね。大学で鍼灸学部に入ったので、そこで鍼灸師の資格を取りました。
大学時代では主にどのような内容を学ばれましたか?
体の勉強っていうのは初めてだったので、生理学や解剖学とかって分かれてたりするんですけど、体の仕組みもそうですし、例えば筋肉の名前など、体の仕組みを細かく勉強したのと、あとは鍼灸と言ってもいろんな分野があるので、例えばスポーツ、今だと美容でもありますし、もっと細かく、 眼科や歯・耳とか、いろんなカテゴリーの鍼灸学っていう勉強を大学の時はさしてもらいました。
大学卒業後、そのまますぐに就職されたんでしょうか。
大学の時のゼミの先生が柔道整復師の資格を持たれている先生で、そこで柔道整復師っていうのはこういうものだよっていうのを教えてもらって、治療の幅が広がるっていうのもあったので、そこで興味を持って、大学卒業後にそのまま専門学校に行って柔道整復師の資格を取りました。
大学で鍼灸師の資格を取って、専門学校では柔道整復師の資格を取ったと。
専門学校を卒業された後の進路というのは。
その後はですね、四日市市にある富田浜病院というところのリハビリテーション科に所属して、そこで整形外科的なこととか、スポーツ的なことを勉強させてもらったっていう話です。
ミエタイマー第一弾の小林晃徳さんとは、どのようなご関係で。
(笑)えっと、僕が1年先輩っていう形で病院に就職したんですけど、そこに入ってきてくれました。
富田浜病院を選ばれた理由と、そこでされていた仕事は?
就職先として病院を選んだ理由としては、まず、大体、就職先って、病院に就職する方も見えるとは思うんですけど、こうやって接骨院に就職するっていう方も多いと思っていて、やっぱり、外傷、怪我とかをしっかり診れるようになっておかないと、自分で開業した時に判断ができず、 結局「病院行ってくださいね」っていう病院任せになっちゃうのは嫌だったので、そこは自分の目でしっかりある程度判断して、患者さんにとって最適なアドバイスというか、診療計画みたいなのが提案できるようにっていうところで、病院への就職を選びましたね。
富田浜病院は、骨折とか脱臼とかっていう患者さんがものすごくたくさん来られる病院だったので、 それに対して、柔道整復師がギブス固定を任せてもらったり、 初診の患者さんを診させてもらったりとかっていう形で、結構、ドクターがやる仕事を柔道整復師に任せてもらえるっていうところがすごく勉強になるっていうのを聞いていたので、それで、就職先に選ばせてもらいました。
それでは後々独立することを見据えた上で。
勉強期間として。はい。
ありがとうございます。見据えた上での就職だったと思うんですけど、何年ほど勤務を。
5年間勤めました。
そのタイミングで独立しようと決めたタイミングは、何かきっかけがあったんでしょうか。
そうですね、正直、4年目で退職してっていう風に考えてはいたんですけど、1年間引き止めて下さったというか、それで1年間延期することになったというところですね。
その間もたくさん症例も見させてもらいましたし、 あとは鍼の勉強も。やっぱり開業する上ではしっかりしておかないといけないなっていうところがあったので。富田浜病院では鍼を打つことができず、5年間鍼灸から離れちゃっていたので、実際の患者さんを診ていないという。そういった所での不安はちょっとあったんですけども、区切りとして退職を決めましたね。
そして、2018年にまずはASSA西日野鍼灸接骨院として独立されたと。
はい、そうですね。
独立後の苦悩、西日野町に治療院を構えた理由とは
独立して大変だったと当時思うことはありましたか。
当時・・・。やっぱり自分1人しかいないので、 周りにアドバイスを求めることができないっていう状況なので、全部自分で考えて判断して、提案するっていうところで、プレッシャーではあったんですけど、まあそれも勉強になるというか。っていうような感じでずっと過ごしてきました。
開業場所に、四日市西日野町を選ばれた理由はあるのでしょうか。
もちろん、自分自身が四日市市の出身であるっていうことと、近くの高校出身なので、同じようにスポーツをしている子たちが、通ってくれたらいいなっていう思いもあり、 あとは、やっぱり地元に貢献したいっていう部分ですね。
今では、その出身校の学生たちは通ってくれていますか。
そうですね。通ってくれていますね。
出身校はどちらですか。
海星高校です。
海星高校の学生さんたちは先輩っていうのはご存知なんですか?
「先輩~!」って来るんですかね。
そうですね、それは知ってると思いますが、「先輩~!」とは来ないですよ(笑)
ちょっと年が離れすぎてるんで。
独立早々、鈴鹿8耐でメディカルトレーナーに抜擢
開業されてから同年の2018年に、鈴鹿8耐のメディカルチームトレーナーとして参加されたということをお聞きしました。
そうですね。本当に開業してすぐに、そういったご縁をいただきまして、 バナーレーシングさんという大阪のチームなんですけど、メディカルスタッフを探してるっていうお話をいただいて、 実際に帯同させていただきました。
2日間帯同したんですけど、初日はもうほとんどやることはなく、2日目にやっぱり決勝戦っていうところで。
ただ、台風が直撃した年だったんで、そういった面でも色々大変でしたね。
その、転倒とかもたくさんあったりして。
本来なら、8耐って暑さ対策をすごくしないとダメなんですけど、台風明けっていうのもあって、そっちよりも違う部分が大変だったっていう年でしたね。
大きな怪我をされる選手はいなかったですか。
それが、1番手の方が何週目かでクラッシュしちゃって、鎖骨骨折しちゃうっていうのがあって。
バイクも、バイク自体が結構破損しちゃったんで、それの修理がすごく大変で。
なんとか回復して、走り切ったんですけど。
レース中の選手への治療というのは、どのような対応をされたのでしょうか。
基本的には、さっき言ったような夏の暑さっていうところで、筋肉がつりやすくなってきたりとかっていう部分があるんで、それをなるべくほぐしてあげるマッサージが主になります。
レース中の選手はどのような様子なんですか。
レース中は、走ってない時はそうですね、もうひたすら体を冷やすっていうことと、つらないためにも栄養補給というか、休めるっていう形をとっていましたね。
基本は3名で走るんですけど、さっき言ったみたいに1人脱落しちゃったので、その後2名でずっと回していたっていう、結構大変なレースになりました。
8時間をずっと耐久して走る選手を間近で見られたというすごい貴重な経験だったと思うのですが、感じられたことは。
そうですね。うーん。正直、転倒などがあるところを考えると、命がけな部分があると思うので、すごく大変なことをされているなとは思いました。
それに、僕たちみたいな、メディカルで携われるっていう機会もなかなかないと思うので、いい経験をさせてもらったなっていう風には思いますね。
いつオファーが来ても行けるって感じでしょうか。
そうですね。(笑)オファーがあれば。
次回
後編では、柴田さんの治療に対する考え方や方針などをご紹介して参ります。最後には柴田さんからのメッセージも!
記事の内容はYouTubeでもご覧いただけます。
是非、ご覧ください!
〜三重県で活躍するすべての人、通称「ミエタイマー」〜
ミエタイムでは、今後もあらゆる場所で活躍するミエタイマーにスポットを当て、ミエタイマーの紹介はもちろんのこと、ミエタイマーを通して「三重県の魅力」を全国へ紹介していきたいと思います。
最後までご覧いただきありがとうございました。
柴田さんとのインタビューの続きもお楽しみに!
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