三重県名張市。
美しい山々に囲まれ、四季のうつろいが生活のすぐそばにある、静かで穏やかなまちです。
そんな名張は、一見すると──「子育てをするには最高の環境」だと、誰もがそう思うかもしれません。
けれどその風景の裏側に、ひとつ、見過ごされがちな大きな課題が隠れています。
それは、市内に“赤ちゃんを産む場所”が存在しないということ。
妊娠が分かっても、陣痛がきても、
名張の妊婦さんたちは、車で30分、40分、長ければ1時間以上かけて、
伊賀市・津市・奈良県の桜井市など、他の市町村の病院へ通わなければなりません。
それが今や、名張に住む誰もが「当たり前」のように口にする現実。
でも本当に、それは“当たり前”でいいのでしょうか?
この道のりを、真夏に、真冬に、お腹の大きな妊婦さんが一人で運転する。
あるいは、陣痛の痛みに耐えながら、1時間近くを車で移動する。
その途中で何かあったら……。
想像しただけで、体がこわばるような不安が、日常のすぐそばにあるのです。
そして今、その現実に静かに苦しんでいる一組のご家族がいます。
彼らの物語は、きっと、私たち誰にとっても無関係ではないはずです。
「出産が近いのに、通える病院がない」
今回お話を伺ったのは、名張市内で暮らす、とあるご家族。
小さな平屋の一軒家には、ご夫婦と、まだ幼い2歳の娘さん、そしてお母さんのお腹の中には、まもなく生まれてくる第二子がいます。
この日、家族にインタビューをさせていただいたのは、2025年8月。妊娠37週。出産予定日は、すぐそこ──9月の初旬です。
「もう、お腹もパンパンで。寝返りを打つのもやっとで……」
お母さんは、少し照れくさそうに笑いながら、そう話してくれました。
その隣で、娘さんはおもちゃを握りしめて、何度も「ママ、おなか〜!」と声をかけていました。
それだけ見れば、ごくごく当たり前の、幸せな家族の風景です。
けれど、その日常の裏側には、ある大きな不安が常に付きまとっています。
名張市には、赤ちゃんを出産できる病院がありません。
「妊婦健診は?」「もし陣痛がきたら?」「緊急時は?」そう尋ねると、お父さんは静かにこう答えました。
「津市まで、車で約1時間。片道44キロです。今回の出産は帝王切開の予定なので、事前に日程は決めていますが……それでも、“名張の中に頼れる病院がない”ってことが、精神的にいちばん重いですね。」
日が昇る前に出発する健診の日もある。
仕事の都合を調整して、毎回送迎をする。
娘さんを一時保育に預ける手配もしなければならない。
それでも、いちばん不安を抱えているのは、出産を控えたお母さんです。
「帝王切開って“予定通り”に思われがちだけど、実際はそうじゃないです。お腹に傷を入れる怖さもあるし、予期せぬ体調の変化もある。それを感じたとき、“すぐに行ける病院が名張にない”って思うと、本当に怖いんです。」
インタビューのあいだ、何度かお母さんはお腹をさすりながら話を止めました。
不安や戸惑いをこらえて言葉にする姿に、「この不安は誰にも代われないのだ」と、あらためて感じさせられました。
出産は本来、命が生まれる喜びに包まれるはずの時間です。けれど、この家族がその喜びに向かうには、距離というハードルと、安心という選択肢の少なさが、今も大きな壁となって立ちはだかっています。
「4つの病院を転々とした。そのすべてが“消去法”だった」
妊娠が分かってすぐ、家族は名張市内の病院を探しました。しかし、すぐに現実を突きつけられます。名張には、出産できる産科がない──。
そこから始まった、“病院探しの旅”。できるだけ近く、信頼できそうなところを……と、地図とにらめっこしながら候補を挙げていったそうです。
けれど、どの病院も、簡単には「ここにします」とは決められなかった。
最初に足を運んだ病院は、予約制にも関わらず、1回の診察に4時間以上待たされる日もあったといいます。
体調が悪くても、お腹が張っていても、ひたすら座って待つしかない。
「“健診に行く”っていうより、“耐えに行く”っていう感覚でした。なんで妊婦さんが、命を守るための通院で、こんなにも消耗しなきゃいけないのかと……」
次に選んだ病院では、医師との相性の悪さに悩みました。高圧的な口調、説明の不足、心の準備もできないまま検査が進む…。
「“命を預ける場所”なのに、安心できないって、もうその時点でおかしいですよね。でも、“じゃあ他にどこへ行けばいいの?”って、答えがないんです。」
そして別の病院では、帝王切開において“縦に切る”と一方的に伝えられたそうです。
現代では母体の回復や将来のリスクを考慮し、“横切開”が主流になってきています。それなのに説明もなく、当然のように選ばれるそのやり方に、不信感が募っていきました。
「“こういうものだから”って言われるだけで、納得も安心もできない。それでも通わなきゃいけないのは、“他に選べる場所がないから”なんです。」
どの病院も、安心して任せられる場所ではなかった。それでも妊娠は待ってはくれません。
結局、ご家族は4つの病院を転々とした末に、今の病院を「消去法」で選ばざるを得なかったのです。
「もし名張市内に、出産できる病院がひとつでもあったら。こんなに“選べない苦しさ”を味わうこともなかったのに……」
そう語る声には、悔しさと、あきらめと、
それでも“子どもを無事に産みたい”という、強い母親としての祈りがこもっていました。
「毎週5時間の健診。週4日労働で有給も消滅」
妊娠も後期に入り、赤ちゃんがいつ生まれてもおかしくない時期。
それに合わせて、妊婦健診も週1回のペースになりました。
ただ、名張市内には出産できる病院がない──。健診のたびに、車で片道1時間かけて津市の病院へ通う必要があります。
「通院って言うけど、もう“遠征”みたいなもんなんです」
ご主人がぽつりと、少し冗談めかして口にしたこの言葉には、笑えないほどのリアルが詰まっていました。
往復2時間。病院に着いてもすぐに診てもらえるわけではありません。待合室で1時間、時には2時間、ただただ名前を呼ばれるのを待つ。
そして診察、検査、会計。すべてが終わる頃には、5時間近くの時間が過ぎているのが普通になっていました。
「それを毎週ですよ」と、ご主人。
実はこのご家庭、ご主人の勤務は週4日勤務制。
一見柔軟な働き方に見えますが、有給休暇の付与は限られており、妊婦健診のために毎週休むうちに、すでに有給は使い果たしてしまったといいます。
「行かないわけにはいかないですからね。妻も体調が日によって変わるし、もう自分で運転させるのは無理だなと思っていて……」
妊娠後期の運転は、腰が痛む、足がむくむ、お腹が張る。
運転中に何かあっても、咄嗟に対応できない。そのリスクを思えば、付き添いは当然のことです。
でも、“当然”のその選択が、家庭の収入や時間をじわじわと削っていく。
どちらも仕事を持ち、上の子の育児もある中で、毎週1日がまるごと通院でつぶれる生活。
それが、何ヶ月も続いています。
時間の余裕も、心の余裕も、削れていく──「命を迎える準備」のはずが、「命に押しつぶされそうな生活」になってしまう。
名張市の医療の現状は、それほど過酷な状況を家族に強いているのです。
「このままじゃ、名張では住みにくい…」
家の窓から見えるのは、のどかな畑と、遠くに見える山の稜線。
子どもを育てるには、これ以上ないほど静かで、安全で、空気も澄んだまち。
名張は、ふたりにとって“帰ってくる場所”だった。
仕事や進学で一度は離れたけれど、結婚を機に戻ってきた。「やっぱり、ここが落ち着くね」そんな会話を、何度も交わしてきたそうです。
でも──いま、心の奥に芽生えているのは、その想いとは真逆の気持ちでした。
「正直、このまま名張に住み続けるのは……つらい、って感じてしまうことがあるんです」
妊娠・出産という、人生でもっとも尊い経験のひとつを、不安と不自由のなかで乗り越えなければならない現実。それが、このまちで暮らすことへの疑問へと変わっていったといいます。
「まずはとにかく、無事に出産を終えたい──今は、それだけです。でも、もし3人目を授かったら……名張で出産して、子育てをしていく未来は、正直もう見えません」
言葉のひとつひとつは淡々としていましたが、その奥にある悔しさや、あきらめに近い気持ちは、はっきりと伝わってきました。
名張が嫌いなわけじゃない。むしろ、好きなんです。
生まれ育ったこの土地で、家族と暮らしていけたら──そう願っていた。
だからこそ、こうして声にすること自体が、どれほど迷いや葛藤の末に出たものなのか、想像に難くありません。
名張の静かな住宅街に、今こうして「もう住み続けられないかもしれない」という声が上がっている。
これは、“一家庭の悩み”では終わらせてはいけない。
声を上げた人だけが苦しみ、声を上げられない人たちがその陰にいる、そんな構造にしてはならない。
命を育てられないまちは、命が根づかない。それは、未来が根づかないということです。
「名張に戻れない若者たち」が増えている
この問題は、名張市に住んでいる出産世代だけの話ではありません。
もっと静かに、けれど確実に進んでいるもうひとつの現実があります。
それが──“名張に戻れない若者たち”が、確実に増えていることです。
例えば、出産を控えた名張市出身の女性がいたとします。
結婚や転勤で他県に住んでいたけれど、「出産の時期は実家に帰りたい」と思うのは、ごく自然なことです。
親に支えてもらえる、慣れた土地で安心して出産したい──それがいまの日本では、「里帰り出産」として、多くの家庭が選んでいる形でもあります。
ところが名張市には、出産できる産科がない。
だから、「帰りたくても帰れない」。
「里帰り出産ができないって、こんなに孤独なんだって初めて知りました。出産のタイミングで、名張に戻ってくるはずだったのに……結局、そのまま別の地域で暮らすことになりました。」
ある女性が話してくれたこの言葉は、決して特別な話ではありません。
実際に、子育て支援が手厚く、医療体制も整った他のまちにそのまま定住する人が増えているのです。
名張に帰ってこられない若者たち。
それは、「一時的な出産支援の不足」ではなく、「未来の市民が育たない」という人口構造の根本的な問題」でもあります。
命が生まれるはずのタイミングで、人が出ていく。
子どもを迎えるはずのまちから、子どもが遠ざかる。
名張市が今、静かに、けれど確実に直面しているのは、「出生の空白」と「帰郷の断絶」です。
子育て世代が出ていくまちに、未来の担い手が戻ってくるでしょうか?
答えは、もう出ているのかもしれません…。
子どもを“産めるまち”でなければ、“育てるまち”にはなれない
これまでお伝えしてきたように、名張市で妊娠・出産を経験するということは、多くの「乗り越えなければならない壁」と向き合うことです。
遠く離れた病院、通院にかかる時間と費用、選べない産院、不安の中での手術……。
けれど、これは決して「特別なケース」ではありません。
今まさに妊娠中の人も、これから子どもを望む人も、そして今はまだ妊娠という言葉にピンと来ない人たちにとっても──名張市で命を迎えるということが、選べない未来になりつつある。
このままではいけない。それならどうすればいいのか──。
ここからは、私たち一人ひとりが、地域として“産めるまち”を取り戻すために、名張市にいまできること、やるべきことを、4つの視点で提言としてまとめます。
1. 分娩対応施設の誘致・支援をもっと具体的に、もっと本気で
今、名張に必要なのは、「いつかどこかにできたらいいな」ではなく、「どうやって、いつまでに、どこに」という具体的な動きです。
出産可能な小規模クリニックや助産施設の新設・再開に向けて、行政が旗を振ること。
医療人材への支援、施設への補助、設備整備への補助金など、「地域で命を迎える仕組み」を、名張市自身がつくる責任があります。
2. 周辺自治体と連携し、“頼れる仕組み”を外からも取り入れる
名張市が単独で医師や施設をまかなうのが難しい状況ならば、伊賀市・津市・奈良県など周辺の自治体と連携し、「支え合いの医療圏」を築く必要があります。
たとえば、ドクターの定期派遣や産科専門職の巡回体制など、「名張に来てもらう」工夫こそ、今必要とされているのです。
3. 交通費支援は、実際の負担に見合ってこそ“支援”といえる
現在、名張市にも妊婦健診や出産にかかる交通費支援制度はあります。
しかし、制度の存在そのものが知られていなかったり、補助額が現実と乖離していたりするケースも。
ただ「制度があります」ではなく、実際の利用者の声に耳を傾け、申請の簡素化や支給額の再検討など、“届く支援”へと進化させてほしいのです。
4. 「どこに相談すればいいか分からない」を、なくすことから始めてほしい
名張市には、妊娠・出産に関する専門的な相談窓口が明確に整っていません。
医療的なこと、精神的な不安、社会制度の活用、すべてがバラバラの中で、妊婦さんやご家族は、自力で情報を探し、判断し、行動しなければならない。これは、特に初めての妊娠にはあまりにも重たい現実です。
「妊娠が分かったら、まずここに相談すれば大丈夫」
そう言えるような窓口を、地域の中にひとつ、医療・福祉・心理を横断して支える「妊娠サポートセンター(仮)」のような存在として、行政の責任で整えてほしいのです。
出産の不安を、誰かが抱え込むまちではなく。
命を迎える喜びを、地域全体で祝福できるまちに。
“産めるまち”でなければ、“育てるまち”にはなれない。
この言葉が、名張市に今、真剣に問いかけられているように感じてなりません。
最後に──これは「一家庭の話」ではなく、「地域の未来の話」です
今回のインタビューを通して、何度も胸に残った言葉があります。
「この問題を、どうか本当に深刻なこととして受け止めてほしい。私たちは、生まれ育った名張で、これからも暮らしていきたい。だからこそ、地域の課題に、本気で向き合ってもらいたいんです。」
この言葉は、特別な誰かの意見ではありません。
どこにでもいる、名張に暮らすごく普通のご家族が、命と向き合いながら、震える手で言葉にしてくれたものです。
出産できる病院がひとつもない。
相談できる場所が分からない。
安心して命を迎えられない。
それは単に「不便」や「困った」では語れない、地域の根っこに関わる大きな課題です。
今、行政、医療機関、地域の人々──すべての立場が、「誰かが動くだろう」ではなく、「自分たちが変えよう」という視点に立てるかどうかが、未来の名張を決めていくのだと思います。
名張が「命を迎えられないまち」になってしまう前に。
命を、育ちを、家族の絆を、地域みんなで支えられるまちであるために。
子どもが産まれ、育ち、その子どもたちがまたこのまちで生きていく。
そんな「当たり前の未来」が、これからも名張で続いていきますように。
いまこの記事を読んでいる、あなたの想いも、どうか聞かせてください。
名張の“いのち”と“暮らし”の声が、ここから届いていくように──。