果肉ぷりぷりの甘夏を食べてほしい!大阪から三重へ移住を決めた元サラリーマンが甘夏畑の再生ミッションに挑む
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前回の第三弾では、三重県四日市市河原田でおやつショップ「un bake」を運営する星名 さくらさんをご紹介しました。
第三弾記事はこちら↓
第四弾となる今回の主役は、三重県尾鷲市で地域おこし協力隊として甘夏みかんを栽培されている日下 浩辰 (くさか ひろよし)さんです。
2021年1月、尾鷲市の甘夏畑を再生するミッションへの挑戦を決めた日下さんは、60年前に開拓してから一代で終わろうとしている甘夏畑を3年かけて元に戻すことに成功しました。
次の課題は、自慢の甘夏を「いかに手に取ってもらう」か。
尾鷲市のソウルフード「おわせの雨夏(あまなつ)」として蘇らせるため、いざ、ミッションの集大成へ…
今回の取材では、日下さんが地域おこし協力隊として甘夏畑を再生するプロジェクトに参加されたきっかけや、甘夏の特徴・美味しい食べ方、就農について興味がある方へのメッセージなど、インタビュー形式でお届けしていきます。
ぜひ、ご覧ください!
ミエタイマープロフィール・活動について
自己紹介をお願いします。
日下 浩辰 (くさか ひろよし)と言います。年齢は52歳です。
職業と主な活動内容は?
職業は尾鷲市地域おこし協力隊で、甘夏畑の耕作放棄地の再生を行っています。
また、Amanatsu Tenma Farmとして、栽培した甘夏と加工した商品を販売するということで今活動を行っています。
日下さんの経歴〜活動を決めたきっかけ〜現在まで
出身はどちらですか?
大阪府堺市出身です。
前職はどのようなことをされていましたか?農業経験は?
前職は、普通のサラリーマンだったのですが、ペット用品の製造販売をするメーカーで主に商品開発を担当しておりました。
犬と猫の気持ちはわかるけど、農業は全くわかりませんっていうところからのスタートですね。
地域おこし協力隊として活動することを決めたきっかけは?
子どもが小学生ということもあって、子どもの教育をのびのびとした場所でさせたいなっていう夢があったので、自分ができなかった自然豊かな場所で、小さいうちからのびのびと育つような教育環境で子どもが育ってくれたらなっていうことで考えてここにやってきました。
尾鷲市から地域おこし協力隊の甘夏畑の再生をミッションとした活動ということで募集があって、それに挑戦させていただいたということになります。
基本的には誰でも良くて、これまでに何をしていたのかっていうのも重要なんですけれども、やっぱり尾鷲市的にはこの歴史ある甘夏畑を再生してくれる、熱意と情熱を持ったような人を募集されていたんじゃないのかなという風には個人的には思っています。
実際に大阪から尾鷲市に移住して感じたことは?
街にいたということもあって、ずっと時間に追われた生活をしてきましたので、 尾鷲の生活っていうところでいくとですね、すごくスロータイムな時間を人生で初めて経験してるような感じで、精神状態も、非常にリフレッシュできているような感じが、この尾鷲の尾鷲タイムなのかなとは思います。
尾鷲市の課題として感じることは?
反対に、尾鷲市の課題としてはやっぱり、私がここにいるのもその経緯からですけれども、高齢化でどんどん人口が流出して、若手が少ないっていうこともあって、私も50歳を超えているんですけど、これでも若手と呼んでもらえるくらい、若い方が少なくなってきていることを考えると、今後いかに定住者人口を増やしていく必要性っていうのはすごく重要な問題だと思っていますので、そういう意味でも自分がやることで、いろんな方に来ていただけるきっかけになればなという思いで今活動をしていますね。
現在進行中の「甘夏再生プロジェクト」ミッションが発足した背景や目的は?
また、個人的なミッションも?
元々僕がここに来た時は、耕作放棄地で3年以上放ったらかしにされていた状態でしたので、まずはその耕作放棄地を再生させること、元の状態に戻すということで、甘夏の栽培面積をこれ以上減らさないという、市の目的からですね、そこをしっかりと担っていけたらいいなと思っています。
僕のミッションとしては、耕作放棄地の再生と”販路”ですよね。
やっぱり作ったものを売っていくためには販路が必要ですので、その販路を確立させることと、今はまだ果実だけを出荷している状態になっているのを、できる限り加工品を作ることで、よりもっと甘夏というものをですね、知ってもらえる製品を作っていきたいなという風には思ってるんですけれども。
とても大きな課題なんですけれども、再生・販路開拓・六次産業化っていうところが僕の最終目標ですね。
尾鷲に来られた最初の1年(2021年)を振り返るとどうでしたでしょうか?
出来上がった畑でやっていくというよりは、荒廃しているものをまた1から作り上げていく大変さっていうのは、僕が考えていた以上の労力が必要だったので、そういう意味では本当に大変な作業でしたね。
やっぱり3年以上も放置されていると森になってしまっていたので、その森をどうやって元の素敵な園地に戻していけるのかっていうところの作業。
日々雑木を倒して木を切って、草を切ってっていう、そういう作業ばっかりの状態が続いたので、そこは非常に大変なところでしたね。
栽培なんか夢のまた夢という感じで、園地の整備だけで1年が終わってしまいましたね。
2年目(2022年)以降は、主にどのような活動をされていましたか?
1年目の時に、非常に気になっていたことがありまして。
害獣がフリーパスで入ってこれるような園地になってたので、そこをなんとか、害獣が入らない園地にしないといけないということで、国や県や市の協力を得て、2年目、3年目は獣害柵をしっかりと。これは基本みたいなんですけども、まずは入られない園地を作るというところを2年目、3年目でやっているというところになります。
農業を経験されてこなかった日下さんですが、どのようにして農業を覚えられたのでしょうか?
そうですね、協力隊の募集の時でも、みかん(甘夏)は成っているので、収穫するだけだというような感じのお話もあって、私も安直に考えて、農業をやっておられる方には怒られそうなんですけども… 収穫するだけなのかなっていう、本当に簡単な気持ちで入ってきて。
いかに生産者さんたちが愛情を込めて作ることで、見た目のいい味のしっかり乗った生産物に仕上がるのかっていうのは、本当に来て初めてわかって、それを今、自分も近隣の農家さんからも色々とアドバイスをいただいて、学びながら実践してるというところになります。
また、去年から尾鷲市的にですね、有機栽培の事業が始まりまして、尾鷲市って本当に平地が10%くらいしかないそれくらい貴重な場所なんですね。農作物を生む場所がそんだけしかないっていうところで普通の農業をしていると、収益も上げにくいってこともあって、何か特化したものにチャレンジしていこうと、市全体で安心安全がイメージできる有機栽培をやって行こうよということになりまして、今この園地全てを有機栽培の事業として取り組んでいますね。
できるだけ木が本来持っている力で、肥料であったり農薬であったり外的な要因ですよね、そういうものを極力減らして、木のパフォーマンスを最大限引き出す栽培方法に取り組んでいるというところですね。
どうしてもみかんの産地って、水分をできるだけみかんに与えないマルチ栽培とか、土の表面にシートを貼って水を与えないとか、それによって糖度を上げるというやり方があるんですけれども。
甘夏は糖度というよりも、糖度と酸度のバランスが良い作物なので、そういう意味で雨量の多いこの尾鷲市の雨が非常に良い影響を与えていて、すごく糖と酸のバランスが良くて濃い味の甘夏ができるという土壌が、他の産地と違うところかなとは思いますね。
屋久島と競うくらい大雨が降る場所なので、みかん栽培には向いてない場所と考えられてもおかしくないんですけれども、これだけ雨が降っても、しっかりと美味しいみかんを作れる土壌があるっていうのが、ほんとに素晴らしい場所やなと思ってます。
園地の整備から栽培するところまでが長かったですが、今では徐々に収穫も?
そうですね。2年目ぐらいから徐々に収穫もできて、加工品も作り出したんですが、加工品といってもジュースで絞るとか、3年目でドレッシングを作ったりだとか、どんどん加工品が増えることによって、甘夏って一時期しか果実としては見れないのですけれども、年がら年中売り場でも見れるようになるっていう意味では、甘夏をアピールしていく上ではですね、加工品を開発することが非常に重要なことかなと思っています。
とにかく(前職で)商品開発をしてきたので、その経験を活かして加工して物にしたいんですよね。
果実でしか判断されないっていうよりは、誰でも食べやすいものにして甘夏を知っていただくというのも裾野を広げていく上ではすごく重要なことなんだろうなと思ってるので、とにかく年がら年中、 アピールできるような加工品を作っていけたら楽しいかなとか思っています。
認知が上がって、販路も拡大すると良いですよね。
農家さんの僕の理想系は…
自分で作った作物、僕で言うと甘夏を好きに加工できるんですよね。
だから、自分で作って自分で商品開発ができるって、これが今後、新しい農業の醍醐味になるんじゃないかな。
どうしても作る方が大切で、作って出荷して終わりっていうのもあるんですけども、今後のことを考えると、もっと夢を持ち続けた方が農家さんも面白いのかなと思うので、自分で作ったものは自分で何かしらの加工品を作って、いろんな消費者に食べてもらえる、そういう夢を見た方がよっぽど楽しいのかなという風に思っていますね。
甘夏について
甘夏の収穫期はいつですか?
その年の状況にもよりますが、3月から6月までですね。
木の上で熟成させたものを、注文が入ってから収穫して出荷するので、言ってみたら、出荷前までは木にぶら下がってる状態なので、一番新鮮な状態でお届けすることができます。
甘夏の特徴はなんですか?
皆さん、普通のみかんで言う温州みかんをイメージされるんですけど、温州みかんって重さが60グラムくらいなんですよ。
甘夏みかんは大体4、500グラムだから、7、8倍くらいなので、みかんってイメージした時のインパクトが全然違います。
あとは手で剥けないっていうのが1番の特徴であって、メリットとデメリットが両方存在すると思うのですが皮が硬いんです。
さらに甘酸っぱさっていうのが普通の甘いみかんに比べた時の最大の違いなのかなあと。
果肉もプリプリしているので本当に食べ応えのあるというか、食べるまでに時間がかかるんですけど食べた時にその苦労が報われる、そんなみかんですね。
おすすめの食べ方は?
そうですね、1番のおすすめの食べ方は自分で剥くというよりも、お父さんお母さんとか、誰かに剥いてもらって食べるのが1番。(笑)
全部皮剥いて果肉状態にしてもらって、タッパーに入れて冷やしてお風呂上がりに食べる。それが1番美味しいかな。
どうしても、酸っぱいのが苦手という人は、砂糖をかけたりまぶしてあげたり、はちみつをかけたりして、そのまま食べるのが1番美味しいかなって思います。
今後の展望について
今後について教えてください。
僕が一番言いたいのは、この3年間ちゃんと出荷していないんですよ。
来年初めて出荷するような感じなので、3年間かけて耕作放棄地から仕込んできて、3年かけて品質を元に戻した甘夏みかんを初めてお届けしますよ、みたいな感じなんですね。
60年前にこの急傾斜地の山をダイナマイトで爆破などしてですね、切り開いた場所で、60年間あま夏だけを栽培してきた生産者たちの思いを背負っているので。
スタートした時は結構盛り上がって、あま夏を特産品として食べる文化があったんですけど、最近は若い子にめっきり甘夏という特産品から記憶がなくなってきてしまっているので、ここでもう1回、60年以上経っている尾鷲の甘夏を蘇らせたいなっていうことでソウルフルーツの復活として取り組んでいます。
とにかく、食べてもらう。
それで小学生の子たちには収穫しに来てもらったりして、給食にも今年から出してもらえるようになったので、みんなで育ててきたこの尾鷲市の甘夏の歴史をですね、次の世代にも、継承していけたらなって思いますね。
日下さんからのメッセージ
甘夏を食べてみたいと興味がある方へ、メッセージをお願いします。
尾鷲はですね、甘夏栽培を始めて歴史が60年以上あります。
それも、周りに名のあるみかん産地がある中で尾鷲もみかんをやってるんですけれども、1種類しかやっていません。
この1種類が、この甘夏なんですね。
だから、他の産地がいろんなみかんを育てているにもかかわらず、尾鷲は60年間甘夏1本でやってきた生産者さんたちの努力と情熱がこもったみかんっていうのは、おそらく日本中探しても尾鷲市しかないと思いますので、甘いみかんも美味しいんですけれども、この甘酸っぱい特に3月から6月というみかんが食べられる最後の月に食べられる甘夏をですね、ぜひ食べてみていただければなと思います。
食べていただくと本当に濃い味がしますので、歴史を噛み締めていただけたらいいのかなという風には思います。
今後農家を目指すZ世代に向けて、メッセージをお願いします。
私も今、生産者になる前はですね、普通のサラリーマンの人生をずっと送ってきました。
それでも農業をやっていけてる今の現状があります。
日本の食料問題っていうのは非常に大きな問題になってきているんですけども、それを担ってくれる若い方が今不足している、これをなんとかしないといけないっていうのが、生産者としてやっている中でも日々感じていることです。
どうしても農業ってハードルが高いなと思うんですけれども、でも農業をやるっていうのは、やっぱり自然の中に身を置くという、精神的にも非常にリラックスできるこの自然の中で仕事ができるというのは、他の職業にはないの最大の魅力だと思います。
農業なんか興味ないって言いながらも、やっぱり皆さんキャンプとか興味ありますよね。
やっぱり人って、自然の中でリラックスするっていうのが、精神的にも身体的にも求めていることだと思いますので、農業はハードルが高いなんか思わないでですね、ぜひ一度農業体験したりですね、地方の生産者さんたちと話をしていただいたりしながら、自分が何か役に立つことがあるんじゃないかなと思ったら、ぜひ農業にチャレンジしてもらえたらなと思います。
とにかく私はもう50歳を超えていて、50歳を超えていても若手だということで、皆さんに喜んでいただけるという状況もありますのでね、ぜひ皆さん農業に興味を持ってもらってチャレンジしていただけたらいいなと思っています。
ぜひ、農業を体験したい方、または甘夏栽培に興味のある方、甘夏の収穫が3月から始まります。
いろんな方に来ていただいて結構ですので、お声がけをしていただけたらなと思っています。
…ところで”あまなつ”って、雨に夏と書いて「雨夏」なんですね。
僕が勝手につけてるだけなんです。
甘夏ってね古臭く感じられてたんですよ。僕が来た時には既にもう終わったみたいなことを言われてましたから。それでピンと来るものないかなと思って。雨しかなかった。だからみんなに聞かれます。あまって雨っていう字やったんだねって。
雨をあまりプラスとして考えてないところがあるので、できるだけポジティブに考えた方がね。日本で1番とか2番とかになるものってそんないっぱいないんでね。尾鷲の特徴である雨量の多い土地でとれたみかん=雨夏(あまなつ)と覚えてもらえたら嬉しいですね。
そういう思いがこもっているんですね。ありがとうございました。
甘夏畑再生プロジェクトとは
収穫する甘夏は、尾鷲市の天満地区で耕作放棄地になっていた甘夏畑を21年より尾鷲市地域おこし協力隊にて甘夏畑再生活動を行っている園地の甘夏です。DOHOスタイルを実践しています。尾鷲市の甘夏は約60年以上の歴史があり、他のみかん産地と違い、甘夏しか生産していない甘夏栽培にだけ情熱を燃やしてきた全国でも珍しい甘夏の産地です。
年々高齢化で生産者不足により栽培量が極端に少なく年々減少傾向にあり、市場に出回らないことから、幻の甘夏となっています。尾鷲市は日本一の雨量を誇る地域ですが、年間での日照時間は東京と比べ100時間も多くて、夏は涼しく冬は暖かい、とても住みやすい気候です。また甘夏畑がある地区は山の斜面に沿って畑が点在していて、どの畑からも素晴らしい景色が見渡せます。日本一の雨とたっぷりふりそそぐ太陽、尾鷲湾からの反射光、ミネラルを含んだ潮風という贅沢なほど自然の恵みを受けて育つ幻の果実を「おわせの雨夏(あまなつ)」と名付けました。ぜひこの尾鷲の隠れた特産品を全国の皆さまにも味わって頂ければ幸いです。
引用:日下浩辰 | Amanatsu Tenma Farm 甘夏 | https://poke-m.com/producers/326396
〜三重県で活躍するすべての人、通称「ミエタイマー」〜
ミエタイムでは、今後もあらゆる場所で活躍するミエタイマーにスポットを当て、ミエタイマーの紹介はもちろんのこと、ミエタイマーを通して「三重県の魅力」を全国へ紹介していきたいと思います。
最後までご覧いただきありがとうございました。